幅広い名店の朝定を定点観測

朝定から始まった、ビジネスマンとしての教養の講義。

それまで黙って蠣田さんの演説に耳を傾けていた高山が、ふいに口を開いた。

「蠣田さんは松屋をメインに、ルノアールやロイヤルホスト、富士そば、ゆで太郎など、幅広い名店の朝定を定点観測し、調査・分析・考察することをライフワークとしている。その結果、ついには朝定エージェントの称号を自称するまでになった。それがどれほどの偉業か、お前にわかるか?」

自称だから偉業はちょっと言いすぎでは……。

ただ実は、蠣田さんは都内で転職エージェントをはじめ、複数社を経営するヤリ手の実業家らしい。

普段、経営者としてさまざまな取引相手と交渉している。そのためのリソースを培うには、こうした地道なインプットが欠かせないのかもしれない。

高山の賛辞を受け、蠣田さんのトークはさらなる熱を帯びていく。

「初めは、まんべんなくメニューを見渡してください。それから店内の様子や客層、周りの人が何を頼んでいるか。POPにも注目してほしいですね」

僕はメモ帳を取り出した。

“好きなモノ”が人生や仕事を豊かにする

「余裕が出てきたら、さらに深いところの情報にアクセスしてみてください。例えば、松屋フーズは牛丼以外にも、中華やそば、とんかつなど、さまざまな業態の飲食店を展開しています」

蠣田さんは「これからが重要ですよ」というように咳ばらいをして、続ける。

「その中に、本格的な鮨・割烹の『福松』というお店があります。コース料理のにぎり御膳は5000円という高級路線。松屋フーズの中では異色の存在です。松屋が営む高級鮨なんて聞くと、ちょっと興味をそそられませんか?」
「確かに、気になりますね」
「ですよね? 気になったら、すぐに食べに行きましょう! 飲み会1回程度のコストで“ビジネスマンの味方である、安くておいしい牛丼屋の松屋がやっている高級鮨屋”を体験できるんですよ。お手軽に非日常感が味わえるうえに、話のネタとしても引きが強い。コスパ最高じゃないですか?」

子どものように目を輝かせて、興奮気味に話す。

高山洋平『ビジネス書を捨てよ、街へ出よう』(総合法令出版)
高山洋平『ビジネス書を捨てよ、街へ出よう』(総合法令出版)

「何より、自ら興味を持って行動し、体験したことは心に残ります。自分が好きなものや興味があることを深掘りしていくと、教養になるだけではありません。いろいろな楽しみが生まれて、人生そのものが豊かになりますよ。仕事ばかりじゃつまらないですからね」

蠣田さんはひとしきり語り尽くすと、居住いずまいを正し、弾けるような笑顔を見せた。

「では、わたしはこれで失礼します。ルノアールのモーニングは12時までなんでね」

そう言って、足早に会議室を出ていった。

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