自分の心をケアしても解決はしない
これは当たり前のことに思えるかもしれません。でも「気の弱い人向けのアドバイス」は、最近はとくにこうではありません。
「まず自分の心をケアしましょう」となっています。
その手段として、たとえば「アロマテラピー」や「おいしいご飯」という「モノ」がすすめられます。つまり「ひとりで自分のケアをするべきだ」と考えられています。
私にはこれが難しかったのです。難しいというよりうまくいきませんでした。
「理不尽に怒られた」と思うような経験は、もちろんたくさんありました。
就職活動をいっさいせず、まともに会社勤めをせずに五十過ぎまできたのは、なにがあっても怒られるのは許容できないパーソナリティのせいでした。
それでも、ミスの多い私は怒られてしまいます。だから「アロマテラピー」も「やさしい音楽」も「あったかくして過ごす」も「自分のためのごちそう」も「温泉」も、およそいま言われているような「セルフケアハック」はなんでも試しました。
私は極端な性格です。その類いのモノに総額で一千万円はかけているだろうし、一千通りくらいのメソッドは試しているでしょう。私にとってはお金なんかよりも、「怒られた心の煩悶」のほうがはるかに大きな課題だったわけです。
しかし、こういったものはたいして役に立ちませんでした。
他の人との関係をケアする
考えてみると「当たり前」に戻ります。当たり前すぎる「当事者の関係のケア」に立ち戻ったらよかったのです。
相手が怒っているなら、その相手の怒りが解ければ苦しまなくてよくなります。
編集さんが怒っているのに、ラベンダーの香りのお湯に浸っていても気持ちは落ち着かないものです。
ただこの「当事者のケア」をするというのは理想です。
現実には難しく思えるケースもあるでしょう。「なぜ私がそんなことをしなければならないんだ、悪いのは向こうなのに」との思いがあるうちは採用できません。
そこで次善のメソッドを用意します。誰でもいいから、他の人との関係をケアするのです。私でいえば妻、または娘との関係をケアするという意味になります。
「そんなことをしてなんになる」と今度は思われるでしょう。
当事者とこじれたのに、他の人との関係をよくしても効果はなさそうです。
それはそのとおりです。しかし、誰とであっても関係をケアすれば、自分には関係をケアできるだけの能力があると具体的に実感がもてます。
その能力は潜在的に、いまこじれた「より難しい人との関係」をケアできる可能性を感じさせます。ようは、妻との関係をよりよくできるなら、編集さんとの関係だってよくできるだろうというわけです。
この感覚を日頃から強化しておくと、私のような人間でも「心が傷つきにくくなった」と思えてくるものです。