操縦席に仏堂が安置された軍艦も

その記録によれば、終戦までに諸団体、個人から陸海両軍に献納された軍用機は、1万2000機にのぼる。

もちろん仏教に限らず、キリスト教など他宗教の団体も軍用機を献納しているが、仏教系団体が献納したのは、判明しているだけでも愛国号、報告号合わせて51機。

献納者の名義は、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗、天台宗などの宗門や本山、地域仏教界、仏教報告会などである。

しかも各団体は献納機へ、それぞれの宗門に特徴的な名称をつけて献納した。

例えば大阪の四天王寺は、「持国天号」、「増長天号」、「広目天号」、「毘沙門天号」と四天王の名を。浄土宗は、明治天皇から法然聖人に贈られた大師号である「明照」を。曹洞宗は、「曹洞1号、2号」などを。臨済宗妙心寺派は「花園妙心号」「臨済号」を……。

真宗大谷派は、軍艦建造のために1期100万円(現在の25億円以上)もの献金を2期に渡って実施し、海軍に献納している。中には操縦席に仏像が安置されたものまであったというから驚きだ。

それにしてもなぜ、日本仏教の各宗門は、ここまでの戦争協力を行なったのだろうか。

実は、慈悲と智慧の体現者であり、社会の調和と寛容を説くはずの仏教教団や僧侶たちが、帝国主義の波にのまれていった背景の発端は、一連の戦争が始まるずっと以前にあったという。

何かの出来事には、必ずその背景がある。歴史的な出来事の真相を知りたければ、その出来事の前に何があったのかを知ることが近道だ。

明治新政府が火をつけた仏教排斥運動

鵜飼氏は先の『仏教の大東亜戦争』以前に、『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)を著し、「僧侶たちが戦争協力に追い込まれていった背景」を詳細に述べている。

それが明治維新という美しく語り継がれる物語の裏で行われた、仏教への迫害・破壊行為「廃仏毀釈」である。

以下、鵜飼氏の『仏教抹殺』から、明治維新の立役者たちが仕掛けた、驚くべき仏教排斥運動の数々を紹介したい。

日本では、中世以降江戸時代まで、永らく神道と仏教が混ざり合い、寺と神社が同じ境内地に共存していた。京都の門跡寺院に見られるように、神に祈るべき皇族や公家が寺の住職を務めた時代もあった。ある意味「ゆるい」宗教風土が醸成されており、その中で僧侶の堕落も起こっていた。

そこで、維新で幕府を抑えて台頭した明治新政府は、万民統制のために、王政復興、祭政一致を掲げて、天皇中心の神道国家を目指したのである。