無かったことにするのも、開き直るのも違う

だからと言って無かったことにしてはならない。「もう昔のことだから、蒸し返すな」としてはならない。「慈悲を説く僧侶たちが情けない、けしからん」だけでもない。「あの時代は国民全員が戦争協力せざるを得ない状況にあり、宗教者、仏教僧であっても、それは抵抗できない仕方ない状況だった」と開き直るだけも違う。

私は今こそこうした史実を、僧侶はもちろんのこと、日本人にも世界の人にも知ってもらい、「戦争」を俯瞰して振り返る必要があると感じている。

なぜなら、戦争は今でも終わっていないからだ。世界の国々は現に今でも戦っている。第三次世界大戦はすでに始まっているとさえ言われている。戦争は今でも私たちにとって他人事ではないのだ。

では私たちはこれから、どう生きれば良いのか。私はその答えが、1951年9月6日、サンフランシスコで行われた日本との平和条約締結調印会議にて、セイロン(現スリランカ)政府代表として、J.R.ジャヤワルダナ氏が行った演説にあると考えている。

日本の分割を止めたセイロン代表の名演説

実はこの会議にて、日本は4つに分けられ、アメリカ、ロシア、イギリス、中国にそれぞれ分割統治をされるはずだった。それを救ったのがジャヤワルダナ氏だ。

ジャヤワルダナ氏は、セイロンが日本の攻撃で受けた損害の賠償請求権を放棄し、これからのアジアを活気づけるためにも、日本は独立国として自由な国にすべきだと主張した。

スリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領
スリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領(写真=アメリカ国立公文書記録管理局/米国防視覚情報配信サービス/PD US Air Force/Wikimedia Commons

さらに彼は、日本と同じ仏教の教養と伝統に生きる国の代表者として、ブッダの言葉を引用して国際社会を説得した。その言葉とは、「憎しみは憎しみによってはやまず、ただ愛によってのみ止む」というダンマパーダの一節だ。そしてこの主張が拍手喝采で受け入れられたのである。

私たちは、日本がいまの日本である背景に、このセイロン代表であるジャヤワルダナ氏の勇気ある発言があったことを忘れてはならない。

そしてこのジャヤワルダナ氏の発言の背景に、「飽くなき欲や怒りから離れよ」「慈しみと智慧を育て、社会と調和して生きよ」と説いたブッダの教えがあったことを忘れてはならない。

なぜなら戦争は、決して過去に起きたことではなく、いま現在起こっていることだから。決して他国で起こっていることではなく、再び日本も巻き込んで起こるかもしれないことなのだから。

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