自分の寺にも残されていた「戦争の痕跡」
この本の中にある、
・本堂の位牌堂には、今でも~中略~現人神天皇を敬う位牌(天牌)が祀られている。
・戦争中の過去帳には、檀信徒が戦死したことを証明する「烈」「勇」「忠」「國」「誠」などの軍国主義を想起させるような文字を選んでつけた戦時戒名が並んでいる。
・戦時中の金属提出によって、多くの寺には梵鐘が下がっていない。
・「陸軍戦利品委員会」が戦争記念として配布した砲弾が奉納されている。
など、「鵜飼氏の寺に残る戦争の痕跡と全く同じ爪痕」が、私が住職を務める福厳寺にも残されていたのである。
そして先著を読み進めるうちに、8月のお盆あたりになると感じていたあのザワザワ感の裏に、日本仏教界による驚くほどの戦争協力があった事実を知ることとなった。
以下、鵜飼氏の『仏教の大東亜戦争』からその具体例をピックアップして、日本仏教各教団による戦争協力の概要を紹介したい。
高額の「殺戮の道具」を競って献上した
「生き物を殺さない」という不殺生戒を第一の戒とし、慈悲と智慧を説く仏教教団がこぞって、侵略戦争にも、軍艦製造や戦闘機製造にも、積極的に加担していたという。
各教団の管長、総長らは自らが先頭に立って「1機でも多く! 寸刻でも早く!」と、あるいは広報紙をつくり、あるいは月刊誌で、あるいは格式や経済力に応じて決められる末寺への負担金を通じて、それぞれの末寺や檀信徒への献金を呼びかけた。
各宗門のトップが呼びかけた献金活動は、それぞれの教団が持つ全国の檀信徒に広がり、中でも婦人会の女史たちは、絶叫して献金集めに協力した。なぜなら彼女たちの愛児たちが、航空隊の、戦車隊の第一線で奮戦していたからである。
かくして日本仏教界は、零戦を始めとする軍用機、軍艦などの殺戮の道具である兵器を次々と、競うようにして献上したという。
それら軍用機の推定価格は、戦闘機が7万円、偵察機・軽爆機が8万円、重爆撃機が20万円。現在の物価水準で換算すると、戦闘機1機が1億8000万円超。
献納機は、陸軍では「愛国号」、海軍では「報国号」と呼ばれ、それぞれどこの団体から、どのような献納を行なわれたかが「陸軍愛国号献納機調査報告」に記録されている。