「受信」「発信」が国語力の正体
「国語力」を伸ばしたいのなら、その“本体”である「個々の技能」を伸ばす以外に手はありません。
では、「国語力」における「技能」の正体とは、何なのでしょうか。
「国語力がある」とは、どんな状態を言うのでしょうか。
相手の言葉を、整理して「受信」することができる。
自分の言葉を、整理して「発信」することができる。
それが、「国語力がある」という状態です。
「受信できる」イコール「聞く力・読む力がある」ということです。「発信できる」イコール「話す力・書く力がある」ということです。
「論理的思考」実は単純明快
大切なのは、「整理して」の部分です。
国語力が低いと、相手の言葉も自分の言葉も、整理することができません。そうなると言葉は混乱する一方となり、すべてが難しく見えてきます。整理が必要です。
「理」は「筋道」を意味します。筋道を整えること。それが「整理」です。
そして、「論理」もまた同様の意味を持ちます。
論理的思考とは、筋道を整えていくことです。
論理的思考とは、混乱したことを整理し、難しいことを単純にしていく作業です。
多くの方は、「論理的思考」という言葉を聞くと「難しそう」というイメージを抱くようですが、実は全く逆。
論理的思考の方法を学べば学ぶほど、ものごとは単純明快になっていきます。
そして、その論理的思考の方法それ自体も、実は単純明快な構造をしています。
「関係」を見つけ出し整理すること
論理的思考とは筋道を整えることである、と書きました。
では、「筋道」とは何でしょうか。
それは、「関係」のことです。
「みかん・バナナ・ぶどう」と「果物」の間には、「同等関係」があります。
「白」と「黒」の間には、「対比関係」があります。
しかし「宿題を忘れた」と「叱られた」の間には、「因果関係」があります。
このような「関係」こそが、個々バラバラなものごとを一本の筋道にしてくれます。
すなわち、「論理的思考」とは、「一見バラバラに思える言葉や考えの間に関係を見つけ出し、それを整理すること」であり、「論理的思考力」とは、そのための技術を使いこなすための能力、ということになるわけです。