死生観のアップデートも避けられない
若者が実質的に「動員」される未来を回避するには、国民的な死生観のアップデートも避けられない。すなわち、「見ず知らずの人にあれこれと身の回りの世話をされてでも、自分はそれでも生きていたいのか」という問いである。これは現状、世の中で提起することすらほとんど不可能な聖域化した問題だが、若者が酷使される未来が到来するなら、議論の俎上にだれかが載せなければならない。
今回の記事ではわかりやすさを重視するため私はあえて「徴介制」という明らかに反対の声が吹き荒れる直截的なネーミングを用いたが、実際には「徴介制」とか「介護徴用」といったあけすけな看板が掲げられることはないだろう。しかしながら、もっともらしい建前やお題目でうまく糊塗されつつ、しかしパフォーマティブにはまぎれもない徴介制に相当する新たな法案や制度が登場する可能性は十分すぎるほどにある。
私たちが直面している「介護崩壊」とは、それほど深刻な問題なのである。国民的議論にしなければならない。