過度に反応することは間違い
公職選挙法には確かに合理性に乏しい条文などもあることは確かであり、選挙管理委員会がポスターなどの撤去を命じることができるとしても一定の条件に違反した場合に限られ、しかも勝手に剝がしていいわけではないなどかなり厳しい基準もあります。
処分に対しても最終的には司法判断になりますが、それ以前の段階で曖昧に運用されているのも事実です。
しかし、原点はやはり「候補者に関する情報を有権者に知らせる」という掲示場の本来の目的を逸脱したり、その機能が果たせないものの自由までも無制限に保障するべきなのかどうか、という点ではないでしょうか。
2024年4月末に行われた東京15区の補欠選挙における「つばさの党」の演説妨害や、今回の都知事選でのポスタージャックなどで「選挙制度や民主主義が冒涜されている」「社会がおかしくなっている」という嘆きも散見されますが、あまり軽々に大きな話に置き換えて論じることはすべきではない、と思います。
今回のようにひどいポスターが貼られかねないことを理由に、過度に表現の範囲を狭めたり、自由を制限することになれば、それに対する弊害が生じることも考慮しなければならないためです。
以前から、選挙という場を使って他とは違うことをやって目立とうとする人、名を売ろうという人は存在しました。もちろん、ネット(SNSや動画配信)の影響でこうした行為が収益につながり、社会が見つけやすくなったことは確かですが、だからと言って大騒ぎしてむやみに規制を広げるのではなく、選挙運動の本来の目的を逸脱させないための基準によって対応することが求められるでしょう。
なによりも選挙である以上、いかに公職選挙法その他の裏をかくような候補者が出てきたとしても、最終的には有権者が判断し、ふさわしくない人は落選させるというのが本来のあり方です。