<家族間でも、友人間でも、「雑な扱い」を受けるのは屈辱的なこと。でも相手が自分をどのように扱うかは、あなたの心がけ次第である程度コントロールできる:ニューズウィーク日本版ウェブ編集部>
頭痛に苦しんでソファに座るうつ病の老婦人
写真=iStock.com/fizkes
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年を重ねれば重ねるほど、大人として、年配者として常に相手への気遣いが求められる。

しかし、よかれと思った言動がかえって自分の立場を弱いものにしてしまったり、相手との距離感が近くなりすぎてしまったり、大人の人間関係は難しいものだ。

この記事では、42歳でパーキンソン病を患い、30年以上にわたり多くの患者を診察してきた精神科医キム・ヘナム氏が、65歳の現在地だからこそ見えた「健全な人間関係」の築き方を伝授する。

『「大人」を解放する30歳からの心理学』

「年甲斐」「分別」「大人げ」「責任」といった、大人だからこそ背負わされてしまう「生きづらさ」を解きほぐす心理学の知恵を集めた、韓国で20万部を突破したキム氏の著書『「大人」を解放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)から一部を抜粋し紹介する。

※本書からの抜粋第1回:韓国人は7割が「完璧主義者」⁉️ 競争社会で「成果を上げる人」と「ストレスで潰れる人」の違い

周りを見ると、責任感が強くて周囲への気遣いがあり、常に親切であろうと努めている人たちがいる。彼らの大半は人から頼まれると断れない性格だ。

断ったらがっかりされる、今回だけは我慢するか、自分さえ我慢すればみんなが助かると考え、無理な要求も聞き入れてしまう。断ったら相手との関係がこじれそうで怖いからだ。

このように嫌でも平気なふり、つらくても大丈夫なふり、腹が立っても何でもないふりを一生懸命している人たちは、相手の気持ちばかりおもんぱかって、自分の心がすり減り爆発しそうなことには気づかない。

それどころか全く非がないところで、とりあえず謝ってしまうこともある。彼らは他者と対立することを極度に嫌うため、先に謝ることで摩擦を避けようとするのだ。自分の意見を主張するより、他人の意見に従うほうが安心だと自らを慰めながら。

しかし謝罪に関しても、過ぎたるは及ばざるがごとしだ。謝罪の言葉を口にすれば、お互いに激高せずには済むかもしれない。それによって、その場は気持ちが楽になることもあるだろう。

とはいえ単に気まずさを回避するためだけにする謝罪は、すこぶる愚かなものである。何も悪いことをしていないのに、どうして自らをおとしめようとするのか。相手のことを尊重しておきながら、自分自身をドブに突き落としているようなものだ。

あなたを守れる人間は他の誰でもない、あなた自身だ。だから何も非がないところで謝る行為は、自らを侮辱する行為にほかならない。自分自身を雑に扱うなんて、あってはならないことである。

人から不当な扱いを受けた場合も同じだ。じっと我慢していたら、相手はあなたを無碍に扱ってよいものと考え、次からはそのことに罪悪感さえ抱かなくなる可能性がある。だから不当な時は不当であると、しっかり主張することだ。それでこそ、相手もあなたに敬意を示すようになるのだから。