孤独死、絶望死、病死、事故死、自死、他殺……人生100年と言われる今、私たちが死を恐れる感情はどこからくるのか。哲学者や解剖学者、憲法学者、僧侶など各界の28人の碩学が寄稿した『「死」を考える』(集英社インターナショナル)はいわば、死の授業。今回は、東京大学定量生命科学研究所教授の小林武彦さんの考察の後編をお届けしよう――。(後編/全2回)

前編はこちらから。

プールサイドに立つ笑顔の高齢男性
写真=iStock.com/FG Trade
※写真はイメージです

ところで、多くの昆虫は交尾、産卵を終えるとバタバタと死んでいきます。プログラムされた寿命を生きたら、決められたようにきっちり死ぬのです。しかし人間の死に方はそれとは異なり、現代人のほとんどは「老化」の過程で死にます。老化とは、細胞レベルで起こる、後戻りできない生理現象です。細胞の機能が徐々に低下したり、異常を起こしたりし、これががんやさまざまな病気を引き起こす場合もあります。

細胞の分裂回数には限界があり、ヒトの細胞の場合、約50回分裂すると分裂をやめてしまい、やがて死んでいきます。古い細胞と幹細胞によって作られる新しい細胞は絶えず入れ替わっており、4年で体のほぼ全ての細胞が新しいものになります。ただし、心臓を動かす心筋細胞と、脳や脊髄を中枢とし全身に信号を送る神経細胞は入れ替わることはありません。傷ついたらそれきりです。人間だけは例外的に少し長いのですが、基本的には哺乳動物の心臓は約20億回拍動するとおしまいです。

サイトカインをまき散らす老化細胞を除去して若返る?

心臓と脳以外の組織は幹細胞が新しい細胞を作るので、常に若々しい状態を維持できるのですが、実際には加齢とともに幹細胞も老化します。幹細胞は老化すると分裂能力が低下して、十分な細胞を供給できなくなります。

【図表1】日本における100歳以上の高齢者数
出典=『「死」を考える

免疫に関わる細胞の生産が低下すると、感染した細胞や異常細胞の除去ができにくくなります。また、組織の細胞の入れ替えのためには、老化した古い細胞の除去が必要なのですが、若い時には免疫細胞が食べてくれたり、細胞自身が「アポトーシス」という細胞死を起こして内部から分解し壊れてくれたりするのに、歳を取ると老化細胞が除去されにくくなってしまいます。

老化細胞がそのままとどまると、周りにサイトカインという物質をまき散らすようになります。サイトカインには本来、傷ついたり細菌に感染したりした細胞を排除するために炎症反応を誘導して免疫機構を活性化させる働きがあります。細胞から分泌されること自体は正常な反応なのですが、老化細胞の場合はこれを放出し続けるので、炎症反応がずっと続いてしまう。その結果、臓器の機能が低下し、糖尿病や動脈硬化、がんなどの原因となってしまうのです。尿を作る能力が下がったり、肝臓の解毒作用が下がったりしてくると、全身の状態が悪くなり、日常生活に支障が出るくらい身体的機能や認知機能が低下した虚弱、いわゆるヨボヨボな状態になってしまいます。

この、排除されずに残った老化細胞を除去しようというのが、加齢による炎症反応を抑えるための、今一番有望な研究です。既にマウスの実験では、残留老化細胞の細胞死を誘導できるようになっています。

高齢でも元気な人は自然に老化細胞が消えているので炎症値が低いです。この人たちを普通の状態とするならば、老化細胞がたまったままの人は病気の状態です。それなら病気を克服して、普通の状態にすることはできるはずだ、というのが、この分野の専門家たちの期待です。

ただ、医療として人間に適用されるのはまだ先のことになりそうです。老化細胞を全部除去していいのかどうかもまだよく分かりません。もしかしたら、ある程度残して身体や認知の機能を徐々に下げていくというのも、人のライフサイクルの中では重要なのかもしれないですから。例えていうならクラシックカーに、一部の部品だけ最新式のものを載せても大丈夫かな、という心配はありますね。