また、ドラマ後半の脚本をめぐるやり取りでも、小学館側は「テレビ社員X氏は、芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと返事した」と述べているが、日テレ側は同人物が「『もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある』と言われた記憶はないと否定している」と主張している。

この恐ろしいまでの食い違いは、完全に信頼関係が構築できていないことの証拠ではないか。小学館の報告書によると、すでに昨年4月25日の段階で、ドラマ後半にオリジナルの脚本を書かざるを得ない場合があるという芦原氏の覚悟を確認していたため、日テレ側に「10月クールは難しい。1月クールに延ばしてはどうか」と度々提案していたという。

そういったことにも耳を貸す余裕がなかったのか、それともお互いの言っていることを信じられないほど疑心暗鬼になっていたのか、そういぶかしまざるを得ない。

小学館側は「作家を守るべき」という意識が非常に強かった

もうひとつ、両社の報告書を吟味していて気がついた点があった。それは出版社とテレビ局のSNSに対する認識の違いである。

日テレでは「日テレソーシャルメディアポリシー」を策定して社内周知をおこなっている。しかし、今回のような原作者と脚本家による投稿からくる炎上対策のケーススタディが充分におこなわれていたとは言えない。実際に、日テレは「口を出すべきではない」として原作者にも脚本家にも投稿に関する意見や要請をおこなっていない。

これに対して、小学館では普段から社内セミナーなどで炎上対策が講じられてきた。今回も脚本家の投稿が出た段階で、社内で対応を協議している。また今後の対策として「懇意にし、継続的に取引関係がある作家が小学館で連載・発行する作品に関連して炎上したときはどうすべきか、検討課題としたい」と述べている。

小学館
小学館(写真=Akonnchiroll/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

以上のことは、小学館側は「作家を守るべき」という意識が非常に強いことを物語っている。逆に、日テレ側は脚本家の投稿を知った後も削除を求めるのは踏み込みすぎだと判断するなど、炎上することを想像できないといったように対策が後手に回っている感があると指摘しておきたい。

信頼関係を軽視したドラマ化の限界

以上、日テレ、小学館の両社の報告書を紐解き、比較考察しながら私なりの分析、検証をしてきたが、最後に同じような事件が2度と起きないための提言をしたい。

芦原氏が亡くなったことの原因は、当初から信頼関係を築けないままスタートした映像化に関して雑多なやり取りや修正願いを続発せざるを得なかった状況下で徐々に芦原氏が疲弊し、精神的に追い詰められていったことに間違いない。