直接的には、芦原氏のSNSへの投稿が反響を呼んで芦原氏の苦労に同情が集まった反面、脚本家への非難が集中したことを芦原氏が悔いたことが引き金になっていると思われるが、当初から「芦原氏は多大な時間と労力を割くことを余儀なくされ、特に要請した修正が円滑になされないことは心労を増す原因になった」と小学館の報告書は指摘している。
芦原氏は、小学館の社員とのLINE(10月21日付)で「●●さん(本件脚本家。原文は実名)の度重なるアレンジで、もう何時間も何時間も修正に費やしてきて、限界はとっくの昔に超えていました」(括弧内は報告書記載のママ)と投稿するほど疲弊していたという。そんな状態では、物事を正確に判断することも難しくなっていたと想像される。分別ある行動もできなくなっていた恐れもあるだろう。
こうした状況を踏まえると、芦原氏を疲弊させた原因は、①ドラマ制作者と原作者が信頼関係を築かないままドラマの企画を走らせてしまったこと、②それを補うだけのコミュニケーションが取れなかったこと――この2つに尽きると私は考えている。
「ミスコミュニケーション」という言い訳
日テレの報告書は再三にわたり「ミスコミュニケーション」という言葉を使用している。
ミスコミュニケーションは「伝えたけれど正しく伝わっていない」という意味だ。この言葉を使う真意は「こちら(日テレ)側はちゃんと伝えていた」ということになろう。
だが、本件の場合は「ディスコミュニケーション」と表現するのが正しいのではないか。両社の報告書にあるように、原作者側の要望を、テレビ局側は脚本家に「そもそも伝えていなかった」のだから。この「ディスコミュニケーション」に関しては、小学館側にも言えるだろう。
両社の報告書によれば、正式に映像化の合意に至ったのは3月としているが、芦原氏はブログで「最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした」と述べている。これは「伝えたけれど正しく伝わっていない」のではなく、
信頼関係を築くこと――。番組制作のキモはこれに尽きると改めて強調したい。それはプロデューサーと脚本家、プロデューサーと原作者の間だけではない。それぞれのスタッフや番組作りに関わるすべての人が「信頼」で結ばれていなければならない。
日テレ側と原作者側の恐ろしい食い違いが明らかに
今回の両社の報告書の食い違いで、この信頼関係が充分に築けていなかったことが明白となった。
例えば、小学館の報告書では、「日テレ社員Y氏は、原作が大好きで、すごく面白いからドラマ化したいと述べ、当然、原作に忠実にするとのことであった」とあるが、日テレの報告書で同人物は「『当然、原作に忠実にする』という発言はしておりません」と回答している。