人員を増やすだけでは根本解決にならない

小学館の報告書は、「本件原作者の死亡原因の究明については目的としてない」と言い切る日テレのものとは違い、芦原氏が担当者を通じて日テレ側にどんな点のどんな要望を出したのかが詳細に綴られており、「原作者が死亡した原因」を究明しようとする意志が見られる。

そういった意味でも、日テレの報告書は多くのアンケートやヒアリングによって一般論としての「ドラマ制作における原作者との向き合い方」を検証したものになっており、調査の姿勢としては良いが、具体性に欠け「踏み込み」の足りない検証になっていると指摘せざるを得ない。

次に、視点③「報告書の『今後に向けた提言』は再発防止に資するものなのか」を考えたい。日テレの報告書は、そもそも原作者が亡くなった今回のような事件の再発防止を目的としていないため、少々的外れに終わった感がある。

報告書には、ドラマの企画決定を原則として放送開始の1年半前、遅くとも1年前を目標とすることや制作人員を増やすことなどの具体的な案が示されている。これは評価できるが、それは制作現場における構造改革であり、今回の問題以前に考えるべきことではないだろうか。

いかにも局の上層部が考えそうな再発防止策

また、こうした対応ができるのは日テレのような大きな局に限られる。地方局や深夜帯などの予算の乏しい番組では、このような方法をスタンダードにするのはなかなか難しいだろう。

報告書では、なるべく早いタイミングで、企画書の他に、映像化するに際しての全体構成案・演出などが書かれた「相談書」を作成することが示されている。これは、ドラマ化するにあたって、制作者側がどんな点を改変したいと考えているかを事前に、具体的に、原作者に提示し、理解を求めるものだ。

これこそまさしく局の上層部や経営陣が考えそうなことだ。安全策という意味ではありだろうが、ともすればこの相談書の存在は現場の首を絞めかねない。

制作現場は脚本化の段階で演出のアイデアや工夫を重ねてゆく。撮影に入っても監督はカット割りの段階でよりよい演出プランを模索しようとする。俳優が「このほうが伝わりやすい」とセリフ変更などの提案をすることもある。そういったギリギリまでの切磋琢磨や推敲が作品を良くしてゆく。

相談書はそういう努力を封印してしまう可能性がある。「原作者と事前にこの内容で合意しているから、これ以上は変えられない」となれば、現場の「かせ」になると危惧する。改変や演出面の相談は、状況に応じて臨機応変におこなってゆくべきではないだろうか。

原作者を苦しめた2つの原因

いよいよここからは、なぜ今回のような「不幸な事件」が起きてしまったのかという核心に迫りたい。

日テレの報告書では避けている「原作者の死亡原因」については、小学館の報告書では「原作者によるSNS投稿経緯と対応」という項目に詳細が記されている。それを読めば、原因は明白だ。