必要なのはグローバル人材よりも経営人材

ヨーロッパから16世紀の日本に来た宣教師たちは、母国と異なる言語や文化、生活習慣に直面した。しかし、こうした違いを克服することに一義的な挑戦課題があったわけではない。ヨーロッパでの慣れ親しんだ宗教活動とはまるで違う、極東の日本という国でゼロからキリスト教を布教し成果を出さなければならなかった。この仕事そのものの非連続性に困難の正体があった。

いまの日本企業のグローバル化にしても同じことだ。それまで慣れ親しんだロジックが必ずしも通用しない未知の状況で、商売全体を組み立てていかなくてはならない。特定の決まった範囲での仕事をこなす「担当者」では手に負えない仕事だ。商売丸ごとを動かすことができる「経営者」が不可欠になる。

『クアトロ・ラガッツィ』
[著]若桑みどり(集英社)

これまでも繰り返し強調してきたことだが、ビジネスに必要とされる「スキル」と「センス」、この2つは区別して考えたほうがよい。担当者の仕事であればそれぞれの専門分野のスキルがあれば事足りる。グローバル化との関連で耳目を引く英語力や異文化コミュニケーション力、人事労務や法制度の知識、こうした能力はスキルの範疇に入る。

グローバルなスキルを持つ「グローバル人材」がいないからグローバル化が進まない、と考えるから話がおかしくなる。未知の状況でゼロから商売丸ごとを動かす「経営人材」がいないからグローバル化が進まないのだ。その本質が非連続性にあるというここでの指摘からすれば、四国だけで商売をしていたうどん屋が、東京に進出する。これも非連続性を乗り越えるという意味で、本質的には「グローバル化」である。スキルある担当者ではなく、センスある経営者を必要とする。白紙の上に商売全体の絵を描くセンスをもつ経営人材がもっとも典型的に必要になる局面、そこにグローバル化の正体がある。

本書に出てくる話でいえば、カブラルの後任として日本での布教活動の責任者となったコエリョには財務のスキルがあった。コエリョの通訳となったフロイスには日本語やコミュニケーションのスキルがあった。しかし、彼らが秀吉に相対してフルスイングで空振りしたように、未知の状況で事業を丸ごと創っていくということになるとスキルだけではどうしようもない。スキルにいくら優れていても経営者にはなれない。優れた「担当者」になるだけだ(それはそれで企業にとって大切な人材だが)。ヴァリニャーノにはグローバルな経営者としてのセンスがあった。しかし、センスあふれるヴァリニャーノも最後の人事で躓いた。形式的なスキルや表面的なスペックだけで人事をするとろくなことにならない。500年前から経営の原理原則は変わらない。

グローバル化へと舵を切る戦略的な意思決定をしたのはバチカン本社(教皇庁)であったにせよ、グローバル化が成功するかどうかは、結局のところヴァリニャーノのような非連続を乗り越えることができる経営人材がいるかどうかにかかっている。過去の日本の企業にしてもそうだ。高度成長期の日本の製造業は、猛烈な勢いで商売を世界に広げた実績がある。そこでもヴァリニャーノばり経営者(その典型例がソニーの盛田昭夫さん)が相手の市場や文化を深く理解して、率先して切り込んでいった。グローバル化はヴァリニャーノのようなリーダー抜きにはできない。これまでもこれからも変わらない真実である。

単純にこちらのやり方を押しつけるか、あるいは単純に向こうに全部合わせるかの二者択一であれば話は簡単だ。しかも布教にしても経営にしても、グローバル化は二者択一ではなく、二者の融合の問題となる。その融合のインターフェイスをどうとるか。そこにセンスが求められる。コエリョやフロイスは、このセンスを決定的に欠いていた。

たとえばファーストリテイリングは、ユニクロでつくった商売の基本を崩さずに、市場のニーズや労働環境も異なる国で商売を展開しようとしている。ここでユニクロが直面する課題は、キリスト教を日本に根づかせようとしたイエズス会のそれと同じである。キリスト教の教義自体を変えてしまったらそもそも布教の意味がなってしまう。ユニクロにしても、これまで日本でつくってきた競争優位の根本部分を崩してしまえば、競争にも勝てないし、海外の顧客に価値を提供することもできない。そうなれば、そもそもグローバル化する意味がない。一方で、日本で培った経営をそのまま相手に押しつけるだけでは、カブラルになってしまう。

ヴァリニャーノやオルガンティーノのような、本質を見抜く洞察力と相手を理解しようとする謙虚さを備えていて、しかも自分勝手にものごとを解釈しないリアリズムでものを考えるリーダーが必要なのである。ただ、社員全員がヴァリニャーノである必要はない。自分の会社のヴァリニャーノを見極めるのがグローバル経営の第一歩である。

この本を日本企業のグローバル経営に対するメッセージとして読めば、結論はこういうことになる。「あなたの会社にヴァリニャーノがいるか。いるとしたらそれは誰か」。この問いに対して答えがすぐに出ない企業はグローバル化に踏み出すべきではない。その前にすべきことがまだたくさんある。

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