壮大な問いに人生をかけて答えを出そうとした力作
もちろんこれは著者と僕の考えが多少違うというだけの話であり、本書の価値とはまったく関係がない。著者が本書を世に出すに至った動機が素晴らしい。西洋美術史を長く研究してきた著者は、60歳を迎える1995年のある夜、こんな声を内心に聞いたという。「東洋の女であるおまえにとって、西洋の男であるミケランジェロがなんだというのか?」。若桑さんは1962年から2年間、年にイタリア政府の給付奨学生としてローマに留学し、カトリック美術を研究した経験がある。そのときバチカンで出会ったミケランジェロに圧倒されて、この巨匠の芸術をずっと研究することになった。
ところが、功成り名を遂げた60歳にして、ミケランジェロをいくら研究しても自分が「西洋美術を理解する東洋人の女」にすぎないということに著者ははたと気づいたという。自分が無我夢中で研究してきた対象と自分をつなぐものが何もない。自分がミケランジェロを研究する必然性がない。自分にとって必然性のある本当のテーマは何なのか。それを考えるために、著者は大学に1年間の休学を申し出る。著者は34年ぶりにふたたびローマを訪れる。研究テーマは16世紀カトリックの東アジア布教についてだった。最初はキリシタン美術について調査していたが、しだいに天正少年使節についての文書が非常に多いことに興味をそそられる。次第に他のことが考えられなくなり、本書を執筆することになった。
本書は著者が「人類は異なった文化の平和共存の英知を見つけることができるだろうか」という極めて壮大な問いに対して、人生をかけて答えを出そうとした力作である。著者は本書を出版した4年後の2007年に他界している。文字通り一世一代の大仕事であり、そうした書物のみが放つ迫力がある。
著者の渾身の仕事のおかげで、いまの日本に生きるわれわれはグローバル化とそのマネジメントについて重要な洞察を得ることができる。グローバル化が日本企業の経営にとって重要なのは間違いない。どこの企業の人と話をしても、このところ決まってグローバル化への対応が話題になる。とにもかくにも「グローバル化」が重要で大切で核心で必須で不可欠で時代の趨勢、避けて通れませんよ!という話だ。
ここに落とし穴がある。ことの本質を押さえずに「グローバル化!」のかけ声に飲み込まれてジタバタするとロクなことにならない。グローバル化の本質は単に言語や法律が違う国に出て行くということではない。経営の「非連続性」にこそグローバル化の本質がある。