家の中は、好きにものを言える場所に

一方、子供どうしの社会では、大人から与えられるのとはまた違うプレッシャーがあるようです。

おしゃべりし、ふざけ合う子供たちの間にはしばしば、「さあ、面白いことを言ってくれよ」「どうしよう、面白いことを言わなくちゃ」といった、無言の圧力が働いています。同年代の子が集まる場で、面白く楽しい子であることを求められるのは、ある程度仕方のないことです。

しかし、家の中でまでそれを求められるのは非常に窮屈です。ですから家の中は、何を言っても良い場にしましょう。好きなことを言っていいし、つまらないことも無意味なことも言っていい、という「自由と安心」を与えましょう。

子供の発想はユニークなので、どんな子でも多かれ少なかれ面白いことを言いますし、笑わせてもくれます。クリエイティブな視点に感服させられることもあります。

しかし、親がそれらを「期待」するのは良くありません。大人から見て中身がないと思える言葉も、思う存分、出させてあげましょう。

家で「発想を広げ」学校や社会で「調整する」

これは前頭葉の発達の観点からも、理にかなっています。

家という完全な安全地帯で、いったん自由に、すべて出す。

その後、学校などの外の社会では、ある程度の制限が課される。その認識のもと、「これは言わないでおこう」「これは言おう」と判断していく。

このように、まず大きく広げてから調整していくのが、適切な発達プロセスです。

最初に大きく広げる段階から制限をかけてしまうと、出てくるはずの発想も出てこなくなります。もしくは、四六時中制限をかけられることでストレスが溜まり、外で「言葉を選べない」――誰かに悪意を向けたり、意地悪をしたりする子になる危険もあります。

子供の思いやりを育てるためにも、まずは家庭内の発言の安全と自由を保証することが大事です。

授業中、手を挙げる小学校の生徒たち
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