家庭責任のある女性たちは「闇雲な頑張り」が不可能だった

海老原嗣生『少子化 女“性”たちの言葉なき主張』(プレジデント社)
海老原嗣生『少子化 女"性"たちの言葉なき主張』(プレジデント社)

【海老原】1970年代までは、女性の定年を30歳とするような不当差別が平気で行われていましたし、整理解雇者の選定には、「独身でも30歳以上の女性は、優先的に対象となる」という内規が普通に存在しましたから。

【江夏】男女雇用機会均等法が施行されたのが1986年。それ以前は、そうした立場に我慢ならない女性は外資系に行ったものです。ただ、仰ったような差別がなくても、家庭のことを重視する女性にとっては、仕事での闇雲な頑張りは不可能に近かったでしょう。

【海老原】そもそも、女性は四大に行けなかったんです。「四大出たら就職ないよ」と当時の親・先生は女子高生を短大に行かせた。日本型って時代的に見ればいい部分もあったと思うのですが、でも、女性はその「おこぼれ」にもあずかれなかったということでしょう。