「空」の思想は争いを回避するヒントになる

一例を挙げると、日本では多くの企業が商品を売るために「消費者も喜ぶだろう」と価格の安さを追求した結果、社会全体の給与が下がってしまう現象が起きていますね。

消費者が安く買えて商品も売れるのは、一見すると自利と利他の一致のようですが、自分も他者も同じネットワークの一部であるという視点が抜け落ちてしまっています。

「私」も他者も同じネットワークの住民である。もっといえば、ネットワークそのものが「私」であり、他者でもある。このような認識を持ち、自利と利他を同じものとして考え行動することが、結局のところ、リスクを最も低く抑えられると思うのです。

それに、自分と他者を切り離した考え方は、究極的には争いを生んでしまいます。なぜなら、形而下世界に生きる私たちは、時空間を共有することができないからです。ある人が座っている場所に自分も座りたければ「どいて」と言うしかありませんよね。

そのとき、自分も他者も本質は平等だという「空」の真理を思い出せば、争いを回避し、何とか折り合いをつける方向に向かえるのではないでしょうか。

欧米の寄付文化を仏教的に見ると

余談になりますが、欧米、とくにアメリカでは寄付文化が顕著ですよね。経済的に恵まれた人が寄付をすることが、ある意味で社会的義務のようなカルチャーがあります。

もちろん彼らの行動原理は、仏教ではないものに基づくでしょうから、その心理を私が語ることはできません。ただ寄付という行為そのものを見ると、これも仏教の利他とよく似ていると感じます。富を持つ人がその一部を、それがなくて困っている人に向けて放出する行為は、彼らが自身を(無意識のうちに)ネットワークの一部だと考えていると思うからです。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)
松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

悲しいことですが、犯罪やテロ行為は、犯人の貧困が遠因になっていることがあります。その社会に生きる人々にとって、犯罪の発生はハッピーではありませんから、お金や力を持つ人が、その一部を社会に分けることで偏りを減らそうとするのは、彼ら自身を含めたネットワーク(社会)全体にとってプラスになることです。

洋の東西を問わず、(自己犠牲ではない)利他的な行為は、ネットワーク全体を少しでもポジティブにするものだということでしょう。

私たちは「より良く生きたい」という本能を持った生物ですから、自分の利益を考えること自体が悪いわけではありません。大切なのはその際に、自分は他者と切り離せない存在であり、大きなネットワークの一部である事実を忘れないことです。

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