司馬遼太郎著『街道をゆく オランダ紀行』は、私がドイツで生活した際にオランダ人と接して、「なるほど」と思えた1冊です。私は78年から80年に留学で、96年から2001年にはキリンヨーロッパ社社長として、それぞれドイツのベルリンとデュッセルドルフに住んでいました。

『沈黙の春』 
海洋生物学者である著者が、当時濫用されていた化学薬品の恐ろしい弊害を告発した。レイチェル・カーソン著/青樹簗一訳/初版1974年/新潮文庫
『街道をゆく オランダ紀行』 
歴史小説の大家が国内外を旅して記した短編紀行文シリーズのオランダ編。司馬遼太郎著/初版1994年/朝日文庫

留学当時は東西冷戦のさなか。街にはベルリンの壁がそびえ立っていました。そこで目にした東西の格差には、大きな衝撃を受けたものです。政権の違いで、こうも差が生まれるのかと。東側にはとにかくモノがなく、あっても、本であればわら紙のような、質の悪いものばかりでした。

そのドイツ同様にビールを愛する隣国のオランダは、辺境の地にあり、人口も少ない(現在は約1659万人)小国です。17世紀にスペインから独立し、大国であるフランス、イギリス、ドイツに囲まれています。

こうした逆境ともいえる立場に置かれているからこそ、オランダ人は昔からクリエーティブであり、たくましい。

人種差別は昔からないし、周辺の大国のような母国語へのこだわりもない。「ネーデルランド(低い土地)」と、平気で自国を称し、巨大な堤防を築く。小国主義に徹し、他者を認める包容力を有する。さらに、商業と航海技術がオランダの合理主義を育てたと、著者は説いています。

何より、商人が集団で出て行くところが、オランダの強さであり、したたかさです。出資者を募る会社組織の仕組みを、世界で初めてつくり上げたのも、オランダ人でした。その典型は17世紀のオランダ東インド会社に見られますが、イギリスはこれを模倣してその後、繁栄していくわけです。オランダなくして、“大英帝国”の栄光はなかったのではないでしょうか。

ビールでは、ハイネケンが世界的に有名です。オランダ国内にいくつもあったビール会社が大同団結して、ハイネケンとして1つにまとまった。そして、世界に打って出たのです。

国内市場が大きい大国のドイツでは、まとまることができなかったのとは、対照的な動きです。いまでもドイツ国内には、中小のビール会社がいくつもあるわけですが、国際化からは完全に乗り遅れてしまった。『オランダ紀行』では、オランダ外務省発行の小冊子からの引用で、「“日本語の中にあるオランダ語”として、一番古い(1724年)言葉はビール(オランダ語のbier)」と紹介されています。これも、ビールに携わる者としてはたいへん興味深い。

厳しい時代もありました。17世紀に繁栄していた頃のオランダは、人口は200万人台でありながらヨーロッパ随一の国民所得を誇っていたそうです。ところが、これが大国の嫉妬を招く。500万人いたイギリスからは戦争を2度も仕掛けられ、さらに2000万人のフランスからは侵略を受けたのです。

それでもオランダは、たくましくしたたかに、今日まで頑張っている。少子高齢化が急速な日本にとって、オランダに学ぶ点は多いと思います。

特に、技術面で潜在力はあるものの停滞している日本の農業。政府と一体となった乳製品のブランドづくりなど、オランダから導入したらいいと思える点はたくさんあるのです。個人的に、将来の日本のモノづくりは、規格化された工業製品の大量生産ではなく、農産品を含め安全で質の高い製品を世界に売る形に向かうべきだと考えます。