「意識の高い人たち」のためのものになっていた
唯一、難色を示したのが、最長12カ月におよぶジョブ・ローテーションだった。
実際のところ、難色を示したといっても、簡単な質問が返ってきただけのようだが、そのときも、①あくまでも研修という名目で、頻繁に開発部にも出入りできるようにする、②研修の終了後は必ず開発部に戻す、といった点について、丁寧に説明したという。開発部長は本当にショックを受けていた。というより、混乱していたように思う。「どこで間違えたのか、全くわからない」といった言葉が鮮明に印象に残った。
実を言うと、僕は話の途中から1つだけ引っかかっていた。何度でも言うが、立ち上げられたプログラムは本当に魅力的だ。これを経験することで、きっと社内でも中心的な人材となれるだろう。女性の活躍という視点からも、新たなリーダーとして、素晴らしいロールモデルとなったかもしれない。
開発部長は本当に優秀な人で、責任感も強い。僕が知り合ったころから、ずっと意識高く仕事を進めてきた。彼女たちに話したことは、きっと責任をもって実行しただろう。さて、読者の皆さんは、僕の引っ掛かりがどこにあるのか、もうおわかりだろうか。それはこのプロジェクトが、意識の高い人たちによって、意識の高い人たちのために作られている、ということだ。
挑戦的なプロジェクトに参加する人はごく少数
当プロジェクトの検討チームの皆さんは、辞めていった彼女たちの気質や性格をどのくらい把握できていたのだろうか。
立ち上げられたプログラムは、(この会社にとっては)今までにない挑戦的なものだ。開発部長の意識も高い。僕の研究室に所属する女子学生も、やはり意識の高い学生が多く、きっとマッチすると思った。でも、当の4人(特に辞めてしまった2人)はどうだったんだろうか。
イノベーション人材を研究している身として、つまりは企業の人材育成を客観的に見てきた立場だから、これははっきりとわかる。今、企業内で立ち上げられる多くの新規プログラムやプロジェクトは、意識の高い人たちが作っている総じて日本企業は閉塞的だ。そんな中で、新しいプログラムを立ち上げるには膨大なエネルギーがいる。そんな芸当ができるのは、一部の意識高い社員やマネジャーだけだ。
そして彼らは、全社員に向けてそのプログラムを発する。いずれも魅力的で、挑戦的で、聞くだけでワクワクするようなプログラムばかりだ。しかも細部までよく練られていて、途中で破綻することがないよう、多段階のセーフティネットまで設けられている。
でも僕の観測では、そのプログラムに応募するのは、(大手既存企業の場合)全社員の10~20%程度だ。どんなに多くても25%程度まで。しかも、だいたい毎回同じ顔ぶれになる。それ以上の応募者がいる場合、そのプログラムがそこまで挑戦的でないか、あるいは本書を手にする必要のない、ごく一部の先鋭的な企業やベンチャーのどちらかだ。