安易な「与野党相乗り」は許されない段階にある
こう書いていくと立憲に良いことばかり言うようだが、最後に一つ注文をつけておきたい。
京都市長選は共産党系候補との事実上の一騎打ちとなり、相手候補に相当に迫られる展開となった。共産党が長く府政を握ってきた独自の地域事情もあるだろうが、各種出口調査によれば、相手候補には立憲や維新、さらには自民支持層の一部まで票が流れ込んでいた。
「選択肢がない」ことへの、有権者のフラストレーションの表れだったと考える。
今回は前述したように「対維新」という特殊事情があったことに加え、立憲のあずかり知らぬところで勝手に「選択肢が消えた」のであり、京都市長選で「立憲が選択肢を示さなかった」というのは酷というものだろう。だからといって、今後の選挙でも「与野党相乗り」を常態化することは、そろそろ許されないのではないか。選択肢を用意する役割の多くは、野党が担っていることを忘れてはいけない。
地方選でも「目指すまちのありよう」で選択肢を与えるべき
「首長選は政党ではなく、人を選ぶもの」という釈明も聞かれる。しかし、国政において政権与党に対し「目指す社会像の選択肢」を示して戦うのであれば、当然ながら地方自治体でも「目指すまちのありよう」について、現職の方向性に対し「ほかの道はないのか」と問いかける姿勢が必要だ。
有権者にとって身近な基礎自治体において選択肢が示されず、投票意欲の湧かない首長選ばかりが続けば、国政選挙でいきなり「政権の選択肢」を示されても、有権者は戸惑うだけだ。
地域社会のすみずみまで「自民一強」という状況で、これまでは候補者探しも簡単ではなかっただろう。だが、今回の前橋市長選のように、まさかの土地で勝てるケースも出てきている。
国政選挙の候補者探しも十分に進んでいないことは理解するが、立憲はそろそろ地方の首長選においても「与党との相乗りはやらない」姿勢を鮮明にすべき時だと思う。