前橋、京都で自民・維新に痛手を負わせた
第一に「対自民」である。
4日の選挙における注目ポイントは、京都ではなく前橋になった。自民党が首相を4人も輩出し、鉄板の「保守王国」と呼ばれてきた群馬県の県都で、野党系の新人候補が自公系の現職を破ったのは「前橋ショック」とも呼べる衝撃だ。
前橋市長選の勝利自体が野党の大金星と言えるが、結果としてこの選挙は「与野党相乗り」の京都市長選の存在をかすませる効果を生んだ。
そもそも「維新」という地域的に特殊な要因を抱える近畿地方の選挙を、全国に当てはめて考えることは、ほとんど意味がない。例えば2015年の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙では「反維新」の名の下に自民党と共産党でさえ「共闘」している。
国政における与野党による事実上の対決構図となった(陣営は「完全無所属」を主張しているが)前橋市長選のほうが、今後全国の選挙を考えるうえで、はるかに普遍性を持つはずだ。メディアなどで京都より前橋の市長選の結果が大きく報じられているのは、その証左だろう。
第二に「対維新」である。
維新は党として、市長選に臨むことさえできない失態を演じた。ここまで維新の存在感は、目立つ選挙で「自民党に勝つ」ことによって培われてきたが、目立つ選挙でその機会が失われたのは、維新にとって痛い。
何より「候補予定者の金銭スキャンダルで推薦取り消し」というのは、相当にみっともない。完全な「棚ぼた展開」ではあるが、維新が京都で相当のダメージを被ったことは、立憲にとっては胸をなで下ろす展開だったと言えるだろう。
野党の「多弱化」も避けられた
第三に「対共産」である。
立憲と共産はすでに、市民連合の仲介によって次期衆院選に向けた共通政策に基本合意するなど、一定の協力関係にある。しかし、京都市長選で共産系候補が、立憲が「自公と相乗り」した候補に勝つ展開となれば、立憲の野党内での求心力は削がれ、今後の野党内の力関係に変化が生じかねなかった。
これまで何度も指摘してきたが、衆院選において野党が勝つためには、多弱の野党がどんぐりの背比べ状態にとどまるのではなく、野党第1党の立憲が中核的な立場を確立した上で、他の野党をまとめて「大きな構え」を構築する必要がある(昨年5月25日公開「『ひ弱な弱者連合』を続けてもしょうがない…次の総選挙で自民党に勝つために立憲民主がやるべきこと」を参照いただきたい)。
立憲が「野党の中核」としての求心力を失えば、野党の「構え」全体の力が衰える。こういう事態を避けられたのも、結果として立憲に好ましい結果だったと言える。