立憲民主党は次期衆院選で「日本維新の会や共産党とは選挙協力はしない」と宣言した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「小選挙区で候補者を一本化するだけが野党共闘ではない。立憲が『自力で戦う』姿勢を示したことで、野党の存在感が高まる可能性がある」という――。
吉田忠智前参議院議員の街頭演説会に参加する泉健太と岡田克也(トキハ本店前)
参院大分選挙区補欠選挙で応援演説に立つ立憲民主党の泉健太代表(左)(写真=Noukei314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

なぜ野党は「○○できなければ辞任」と言いたがるのか

立憲民主党の泉健太代表が、次の衆院選で党が150議席を獲得できなければ辞任する考えを示し、論議を呼んでいる。案の定、メディアでは「150」という数字と「辞任」という言葉ばかりに大きな焦点が当たっている。

またか、というため息しか出ない。どうして野党のトップというのは、自ら望んでいるかどうかは別として「○○できなければ辞任」と言いたがるのだろう。泉氏1人の問題ではないが、野党はいい加減、この文化から決別してほしい。

筆者が「できなければ辞任」論法を好まない理由は、結果として野党党首の首のすげ替えが頻繁に起きるため、リーダー級の政治家がなかなか育たず「政権交代可能な2大政党制」の実現に対する阻害要因となりかねないことだ。

衆院選がきちんと4年の任期ごとに規則的に行われるなら、まだいい。しかし、現在の日本では、おかしな憲法解釈のせいで、時の首相が自分にとって都合の良い時に衆院を解散できる。野党は、わずか4年の衆院議員の任期すら満たさない短いサイクルで、しかも自分たちにとって都合の悪い時に総選挙を戦わなければならない。現在も岸田政権が「主要7カ国首脳会議(広島サミット)で政権を浮揚させた上で衆院を解散する」というシナリオが、永田町ではまことしやかにささやかれている。

リーダーシップを持った政治家が育たない

このような環境で野党が衆院選で勝つのは、並大抵のことではない。そして、そのたびに野党党首が「勝てなかったから辞任」を延々と繰り返していては、次々とリーダーの首がすげ替わり、野党において指導的立場の政治家を育てるのは難しくなる。そしてそのたびに、党の勢いも振り出しに戻る。野党にとってこれほど非生産的な話はない。

政党が選挙において、議席の獲得目標を掲げることは否定しない。だが、代表がみすみす「できなければ辞任」という「負のパワーワード」を口にすればどうなるか。「目標に達しない可能性」の方に、より焦点が当たってしまう。「立憲下げ」に夢中のメディアが「選挙後は野党政局だ」とネガティブな発信を繰り返し、結果として政界の空気がそちらに引っ張られる可能性もある。

こうしたデメリットまで勘案した上で、泉氏には慎重な発信を心掛けてほしい。