「自力で戦う」姿勢を忘れていた
21年衆院選の後、立憲には「野党『共闘』は失敗だった」との批判が、散々浴びせられた。実際には多くの小選挙区で自民党と相当な接戦になっており、戦術面での候補者一本化の効果は確かにあったので、立憲がこれらの批判を丸ごと受け入れる必要はない。
しかし「共闘のあり方」には、明らかに見直すべき点があった。それは野党が「多弱連合」から脱し、立憲を中核に据えた上での「構え」の陣形を作らなければならない、ということだ。「共産党と組んで左に寄りすぎたから、次は維新と組んで右に振れるべきだ」とか、そんなことでは全くない。
以前にも指摘したが、民主党が下野した2012年以降、野党第1党としては衆院に最多の議席数を持ち、第2党(日本維新の会)との議席差も最も広がった。歩みは遅いとはいえ、立憲は実際に「野党の中核」の位置に近づきつつある。
にもかかわらず、外野から散々「党勢低迷」を喧伝されてきた影響なのか、立憲は前回衆院選の後、長らく「自力で戦う」姿勢に転換できずにいた。他党との選挙協力の可能性を意識して、候補者擁立が大きく遅れていたのが良い例だ。
立憲の姿勢を変えた「千葉5区補選の激戦」
こうした党の姿勢を反転させたのが、4月の衆参統一補選だったのではないかと筆者は考えている。例えば千葉5区だ。野党候補が乱立し「自民圧勝か」と言われた選挙で、立憲は野党候補の中で頭一つ抜け出し、当選した自民党候補と大接戦を演じた。目下の「野党内ライバル」である維新の候補には、ほぼダブルスコアの差をつけた。
世間的には「立憲惨敗」と呼ばれる統一補選だが、野党内の力関係に焦点を当てれば、立憲は「野党の中核政党として、単独でも自民
統一補選の後、立憲は、大きく滞っていた「自力での候補者擁立」にようやくかじを切った。候補者擁立の目標を、これまでの150から200に引き上げた。遅すぎた感はあるが、良い傾向であると認めたい。