同じ沿線には同じような人が生活している
人間は、そう簡単に生活する環境を変えられないものだ。どんな地域に生まれたか、どんな教育を受けてきたか、いまどんな仕事をしているか。そこで出会った人は、あなたと同質の人が多いだろう。
そこで決め手となるのが、「沿線」という概念である。同じ沿線には同じような人が生活している。「沿線格差」というのは東京圏全体では存在するものの、個々の沿線で生活している個人は同質性のなかで周囲とよい関係を築きながら快適な生活を送っている。しかも、これまでくり返し述べてきたように、近年は同質な人間が再生産される傾向が高まっている。豊かな人の子が豊かになり、大卒以上の親の子が大卒になり、給与が高く、福利厚生が整っている仕事についている人の子どもが同じ条件の仕事につく。そんななかで、「沿線」の持つ価値観が再生産されていく。
さまざまな格差や不平等が固定化していくなかで、「沿線格差」という概念が固定化していく可能性も高い。果たして、「沿線」はそう簡単に離れられる存在なのだろうか?
ある人が生活する沿線は、その人のほぼすべてを示し、その人自体を強固に規定するものだといっていい。その意味でおすすめする沿線は、もし、あなたがどこかの沿線に生まれ育った場合、あなたの生まれ育った沿線である。もし、あなたが地方から上京してきた人の場合、あなたの立場に見合った沿線だ。
人生を変えたいというならばほかの沿線へ
ただし、自身の育った沿線に満足せず、人生を変えたいというならば、ほかの沿線に住むことも十分にあり得る。「沿線格差」の再生産から逃れたいのならば、それは十分に実行する価値があるだろう。
「沿線」は多様であり、また「沿線格差」もある。そのなかであなた自身の価値観に合った沿線を選ぶべきである。そして快適な沿線ライフを送っていただきたい。