マークをつけないと譲ってもらえない社会はどうなのか

この点において専用席のほうが高い効果を発揮するのは当然だが、一方で優先利用の当事者もまた視線に晒される。つまり高齢者や身体障害者と異なり一見して分かりにくい人、例えば内部障害者や病人、妊娠初期の妊婦などからすれば、「健康なのに座るな」と絡まれる恐れがあり、利用しにくい。

前述の宇都宮大学の研究でも「優先利用対象者か一般利用者かの判断は、各調査員に委ね」(判断できなかった場合は、調査対象から除外)ており、対象に含まれるのに座れなかった人、対象者なのに対象外とされた人が見過ごされている可能性がある。

そのために「ヘルプマーク」「マタニティマーク」があるという声もあるだろうが、自らの身体をマークで区別される、そうでなければ配慮されない社会というのは健全といえず、マークを付ける人、付けない人両方の差別につながりかねない。

それどころか、優先利用の理念に従えば、急に体調が悪くなった健常者だって座ってよいはずだ。「体調の悪い若者」対「元気な高齢者」という不毛な論争があるが、どれくらい体調が悪ければ座ってよいか、外部から定量的に測定することなど不可能なのだから、座りたい人は座る、譲れる人は譲る、それ以上を強いても仕方ないのである。

座る、座らないの線引きはあえて“曖昧”なほうがいい

その意味で筆者は、専用席化の効果は一定、認めつつも、より広範な対象者が気兼ねなく利用しやすいように、制度にはあえて曖昧さを残しておくほうが良いと考える。とはいえ全席優先席まですると外部の目が希釈されて当事者意識を持たなくなってしまうため、現実的な解とはいえないだろう。

なぜ曖昧さが必要なのか。それは前身の「シルバーシート」に始まる優先席の歴史を辿ることから理解できるかもしれない。

最初にシルバーシートが設定されたのは国鉄中央線だ。中央線には殺人的満員電車対策として1947年から「婦人子供専用車」が設定されていたが、1970年に高齢者の割合が人口の7%を超えた「高齢化社会」に突入したことを受け、1973年9月15日(当時の「敬老の日」)に婦人子供専用車と入れ替わる形で登場した。当初は中央線の両先頭車両に限定されていたが、やがて他線区や私鉄・地下鉄にも広がっていった。

「お年寄り」や「からだの不自由な方」を対象にしたシルバーシートだったが、平成期に入ると妊婦や乳幼児連れ、ケガ人、内部障害者などを含めた「優先席」へと発展的に解消した。営団地下鉄(現東京メトロ)は1996年、JR東日本は1997年頃から設置を全車両に拡大し、2003年には車端部の向かい合った座席の両方が優先席となった。