夏祭りの帰り道での悲劇

「石狩沼田幌新事件」も、北海道開拓時代の1923年8月21日に起きた。

現場となった沼田町は、「三毛別ヒグマ事件」が起きた苫前村にも近い。開拓民一家が夏祭りの帰りにクマに襲われ、食害された事件だ。

現在の留萌本線・恵比島駅跡の近くで太子祭が行われていた。村はずれの開墾地に暮らしていた村田さん一家ら5人は、祭りを楽しんだ後、帰路についた。そして午後11時半ごろ、川沿いの道を北へ4キロほど歩いた地点で突然、闇の中から現れたヒグマに襲われたのだった。

クマは抵抗した2人の息子を激しく攻撃した。ほかの3人は近くの家に逃げ込んだものの、クマはそれを追ってきた。窓に両手をかけて覗き込み、家の中へ入ろうとした。

なんとかクマの侵入を防ごうと、シラカバの皮を次々と炉に投げ込み、部屋を明るくするともに、家を覗き込むクマに対して手当たり次第にものを投げ、大声を上げた。

クマは驚いた表情で顔を引っ込めたが、表口の戸を押し倒して、家屋へ侵入してきた。みな、梁の上や押入れ、便所の中に隠れた。

ところが、子どもの身を案じた妻がふらふらと屋外に出たところ、クマが襲いかかった。夫は我も忘れて外へ飛び出し、「ちくしょう、ちくしょう」とクマをスコップで乱打したが、まったく効果はなく、妻を引きずって笹薮の中へ入ってしまった。ヒグマは音を立てて食べ始めたが、誰もどうすることもできなかった。

朝になってクマが立ち去ったので妻の姿を探すと、下半身を全て食いつくされた遺体が見つかった。地面に倒れていた息子の1人も絶命していた。

翌22日に消防団と青年団などが警戒にあたったが、クマは姿を見せなかった。さらに23日、となりの雨竜村(現・雨竜町)から助っ人の猟師らが加勢した。そのうち一人が「俺が仕留める」と言って森へ入ったが、戻らなかった。

その間に警官や御料局員らが到着し、24日から総勢220人体制で本格的な討伐作戦が始まった。

午前11時半ごろ、林内を約1.5キロ進んだところで、クマが隊員を襲ってきた。負傷者を出したものの、隊員は発砲。クマは急所を打ち抜かれて動かなくなった。

行方不明になった猟師の遺体はそれほど離れていない場所で発見された。残っていたのは頭だけだった。

仕留められたクマは体長2メートル、体重340キロ。オスの老獣だった。その毛皮は現在も沼田町の炭鉱資料館に展示されている。