何歳になっても無邪気に子どものような好奇心を持つ

あるいは、23年度前期のNHK朝ドラ(連続テレビ小説)『らんまん』の主人公のモデルになった植物学者の牧野富太郎も、子どもの頃からの植物好きを一生続けて「日本の植物学の父」と呼ばれるようになった人物です。

何歳になっても無邪気に子どものような好奇心を持つのは、見た目の若さという点でもとても重要だと思います。それがなかったら、人は30代でも40代でも老成していくのではないでしょうか。

年をとっても好奇心を失わない人のことを「少年の心を持った大人」などと言いますが、これは「子どもっぽい大人」とはまったく違います。

後者のような人のことを「精神年齢が低い」と言う人もいますが、これは私の言うところの精神の若さとはまったく関係ありません。

例えば、ちょっとムカついただけで、カッとなって怒鳴り散らすのは、単に子どもっぽい大人にすぎません。

ゲームをしながら怒る中年男性
写真=iStock.com/Ranta Images
※写真はイメージです

成長とともに身につけなければならない倫理観や道徳観が欠如しているだけで、確かに定義上は精神年齢が低いことになりますが、精神の若さとは無関係です。

ただ、年をとって脳の前頭葉の老化が進むと、もともとあった性格が尖鋭化されてくるという特徴があります。

コンビニの店員に難クセをつけて怒鳴り散らしている老人をよく見かけますが、あれも一種の性格の尖鋭化です。この老人はたぶん、自分流の倫理観が厳しかったのか、老化とともに過度になっていったのでしょう。

出世しないほうが若く見える

逆に、出世競争に負けてしまった人はどうなるのでしょうか。年功序列というシステムが崩壊した現在、40代や50代で出世の道が断たれるということは珍しくありません。

そういう人たちは、「プライベートな趣味の世界で自分は勝つ」と思えばよいのです。

週刊誌を出しているような大手出版社は、出世競争に負けた社員でも、一般的なサラリーマンの平均年収と比べると、相当に恵まれた給料をもらっています。

実際、私の本を出してくれた出版社にもいましたが、そういう人たちは、けっこう遊びながら、会社員の生活を楽しんでいるのです。

私の同級生にも、日本の最大手の広告代理店に就職したものの、たいして出世しなかった友人を何人か知っています。彼らの仕事というのは、遊びも仕事のうちですから、みんな見た目がけっこう若いのです。

逆に言うと、社会的地位が高くなると、人は貫禄がついてきて、老けて見えるようになるけれども、逆に地位が上がらなければ見た目の若さが保てるとも言えるのはないでしょうか。