日本の大学教授は「上がり」のポジション

これは学問の世界も同じで、アメリカでは医学部や工学部などの分野では、30歳前後で教授になることが珍しくありません。

アメリカの場合、教授の肩書きを持っているほうが研究資金を集めやすいので、若いうちに教授になろうとする学者が多いのです。いわば教授になることが研究のスタートラインなので、早く教授になって、自分がやりたい研究を始めたいわけです。

研究室で実験をする人
写真=iStock.com/Hispanolistic
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これに対して、日本の場合、教授はすごろくで言うところの「上がり」のポジションです。それまで一生懸命に論文を書いて、教授への道を駈け上がってきたのに、教授になったらもう何もしなくても地位が保障されます。

だから老けて見えるようになってくるのではないでしょうか。

iPS細胞の研究で、12年にノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥さんは、京都大学iPS細胞研究所長の仕事をやめて(現在は名誉所長)、残りの人生をより一層研究に専念したいと宣言していましたが、日本の場合、ノーベル賞を受賞した学者もほとんどそれが上がりになっているようです。

「精神年齢を上げる」という強迫観念

教授や社長になると老け込むのは、精神年齢が一気に上がって、肩書きにともなうくだらない風格を早々と身につけてしまうからではないかと私は思っています。

日本では精神年齢が高いほうが大人だと考える文化があるのか、年齢が上がるとともに、精神年齢も上げたいと思っている人が多いのではないでしょうか。

でも「精神年齢は上げなければいけない」という強迫観念はよくないことだと私は思っています。

よくリタイアしてからの趣味は、俳句だとか詩吟だとか、本を読むなら哲学書とか言う人がいますが、興味もないのにそんな趣味を押しつけられても、やる気にはならないでしょう。

趣味というのは、好きなことをやるべきですし、それで精神年齢が若いと言われても、気にする必要はありません。

私の東大医学部時代の恩師であり、今も尊敬する養老孟司さんは、子どもの頃から昆虫観察が趣味で、80代半ばになる今も山や野を駆け巡って昆虫採集をしています。

高齢者だからといって、興味もないのに俳句を趣味にするより、養老さんの生き方のほうがよっぽどステキだと思いませんか。