最初の一歩のための「言い訳」を提供してあげる

3 若者が何かを始めるためのきっかけが重要になる

若者にキャリア形成への自主性が尊重および要請される結果、「やりたいことや腹落ちした目標がある若者」と「それがない若者」の間で大きな機会格差が生じる可能性が高い。

例えば公募型異動が始まったとして、やりたいことが明確でそれに自ら手を挙げて応募できる若者は一握りだろう。この際に留意しなくてはならないのは、「やりたいことを見つけろ」と言うだけでは現状は何も変えられないということだ。ポイントはやりたいことを探すための最初の一歩をどう促すかである。

筆者はスモールステップの重要性を指摘しているが、さらに踏み込めばスモールステップを促すためのきっかけ、「言い訳の提供」がポイントになっていくだろうと考えている。

最初の一歩目から「意識高く」「自分の意志で」実行する必要はないのではないか。同僚に誘われたとか先輩に言われたとか会社の研修項目に入っているから、といった他律的なファーストアクションをもっと周りが仕掛け、そんな「言い訳」を持って一歩踏み出した若手を評価してもいいのではないか。

ステップと書かれた階段に立っているビジネスマン
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キャリア自律の重要性が提唱されて久しいが、自律は行動の結果に過ぎない。キャリア形成を当初から自律性に依拠するのではなく、その自律性・自主性を生み出すための実践的な体験・経験支援を議論しなくてはならない。

若者は「将来自分は社会に通用するのか」と悩んでいる

4 若者だけに考えさせない

初期のキャリア形成において若者の自主性が尊重され要請される、「若者が企業を活かして育つ」時代だからこそ、若者だけに考えさせてはならない。これには2つの意味がある。

第一に、単なる「自己責任論」にしてはならないということだ。会社がゆるいと感じる若者に対して、「自分で動かないからだ」「環境が悪いと嘆くだけで環境を変える努力をしていない」という“叱責しっせき”をする上の世代からの意見が聞かれることがある。

しかし、かつて構造的な上意下達で仕事が自動的に積み上がった環境で、また職場における経験知が明確にあり努力の方向性がはっきりしていたかつての職場と、現代のゆるい職場では、若者が自身のキャリア形成について思考するスタート地点が違いすぎる。

かつてほとんど考えなくてよかった「この仕事をして将来、自分は社会で通用する社会人になれるのか」という根源の問題に、現代の若者はまず取り組まなくてはならないのだ。

確かに、若者側もキャリア形成の主語が変わり「企業が(かつてほど)育ててくれなくなった」ことを認識する必要があるが、それを“企業に育てて貰えた”かつての若手が「いまの若者は努力不足だ」と言い放てるのだろうか。