転勤、単身赴任に近い「合理性を超えたジョブ・アサイン」を与える

若者だけに考えさせてはならないもうひとつの意味は、「本人の合理性を超えたジョブ・アサインが必要である」ということだ。

現代においては、職種別採用の浸透やジョブ型雇用、公募型異動など制度面の変化からもわかるとおり、組織が若手の希望を聞くようになった。現場でも、「何がしたいのか」やキャリアの見通しを聞くことでジョブ・アサインの参考にしているマネジャーも多い。

企業の強力な配転命令権のもと、上意下達のキャリア形成が一般的であった日本企業も大きく変わったなと思わされるポジティブな変化であるが、しかし留意すべき点がある。

若者個人の希望に沿ったキャリアパスを用意する限り、その個人の想像する以上の機会や経験は得られないということだ。偶発的な出来事がキャリア形成において大きな役割を果たしているという主張はクランボルツも指摘するところであるが、肌感覚としても納得できるのではないだろうか。

筆者は、かつて日本企業が配転命令によって強制的に起こしていた偶発性には、もちろん転勤による単身赴任など現代社会に全く見合わない前近代的なものも多数あるが、その中身をすべて悪い経験だったと切り捨てるのは難しいと考える。

当事者の合理性には当然ながら主観的な認識の持つ限界があり、これを乗り越える装置を、「ゆるい職場」時代に改めて考えなくてはならない。

そのキーワードが「本人の合理性を超えたジョブ・アサイン」である。これを本人の納得感を調達しながらいかに与えていくか、が最大の育成論題となっていくだろう。

どんな職場でも「きつい」と感じる若手はいる

5 「ゆるさ」に対する主観と客観の問題

第5章で見たように現在所属する職場に対して「ゆるい」と感じる新入社員は大手企業(従業員規模1000人以上)において36.4%となっていたが、これは主観的評価であることは言うまでもない。新入社員に限らず誰しも、自分の現状を認識する際に完全な客観性を保って判断することはできず、個人のそれまでの経験などを参考に評価することになる。

この点について、筆者が「学生時代の社会と接する経験」の多寡によって職場への認識が異なることを明らかにするとおり、過去の社会と接する経験(社会的経験)との比較という視座が発生しているのが現代の若手の特徴でもある。具体的には「学生時代に起業したが、そのときの経験と比べるといまの職場は……」といった声を聞くことがあるのだ(詳しくは第7章)。

主観的視点については全く逆のケースも当然あり、企業で取得している労働時間や有給休暇取得率、各種社員サーベイの結果として、中長期的に働きやすい会社になっていることが明らかであったとしても「きつい」と受け止める若手がいることもありうる。