養子に出された人が実の親を追い求める強い気持ち
実父母を求めるこの気持ちは、他人にはうかがい知れないものがある。笠置は自伝で、その苦悩と逡巡を率直に書いている。笠置の舞台上での底抜けの明るさは、この闇の深さとも関係あるに違いない。
笠置に強談判されて、叔母が打ち明けた結果、彼女の心は晴れたのだろうか。決してそうではなかった。その複雑な胸中を自伝において、こう吐露している。
「私はやっぱり聞かなければよかったと後悔しました。血肉をわけた母がきのう同じ法事の席に連らなり、またこの近くに住んでいるとわかると、どんな意外な事実を聞こうとも、いまの養母に対する気持ちは変わらぬという自信で聞き出してきた私の身構えがぐらついてきたのです」
18歳の娘である。揺れる娘心が手に取るようだ。このあと笠置は、近在に住む実母と対面を果たすことになる。
実母に会おうとする決断には、理由づけが必要だった。
人間の本能として、実母を求めることは自然の感情である。とはいえ、養母うめに対する後ろめたさもある。
なにしろ養母は、実母の存在をこれまで笠置に、ひた隠しに隠してきたからである。笠置も、養母のその気持ちは痛いほど理解できた。
笠置は心の中で、こう折り合いをつけた。
シヅ子が百日咳にかかったとき懸命に看病してくれた養母
自分が百日咳で生死の境をさまよったとき、帯をひと月も解かずに看病してくれたお母さん、娘が死ねば自分も死ぬといってくれたお母さん、どんな人が出てこようと、お母さんはたったひとりだ……と。
半面、はたして実母はどんな人なのだろう、どんな人が出てこようが、自分さえしっかりしていれば問題はないはず……。
あれこれ考えるうちに笠置は、実母と会うことで母に対する気持ちの変化はないと確信したのだろう。実母を知りたいという気持ちに、功利的なものは一切ない。実母との対面は、後にも先にもこのとき一回きりである。
仕立てを生業とし、6歳くらいの男の子がいて、笠置への負い目を見せる実母と会い、笠置は、これはこれで得心したのではあるまいか。
実母と養母との間で揺れる心というよりは、実母と養母への自分の距離感を確認して、心の平安が得られたといっていいかもしれない。
実母との別れに際し、笠置の手には金無垢(純金)の置時計の入った小箱が握られていた。実母いとが、生前の夫(笠置の実父)から贈られたものだった。