東芝の舵取りを誤った3人の「迷」経営者

東芝は9月21日、投資ファンドの日本産業パートナーズなどを中心とした国内連合によるTOB(株式公開買い付け)が成立したことを発表した。11月22日の臨時株主総会を経て、12月20日に非上場化される予定だ。日本を代表する電機メーカーの凋落は、多角化に走った日本企業を考察する絶好のケーススタディになるだろう。

シリコンバレーの東芝アメリカ電子部品本部
写真=iStock.com/Sundry Photography
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東芝の混迷が表面化したきっかけは、2015年に発覚した不正会計問題だ。混乱の最中、06年に買収した原子力発電プラントメーカー、米ウェスチングハウスが巨額の損失を出してしまい、17年に経営破綻。東芝も17年3月期に9656億円の最終赤字を計上した。

このときは増資で上場廃止を免れたものの、こんどは株主となったアクティビスト(物言う株主)と再建方針を巡って対立。今回、TOBで非上場化するのも経営へのアクティビストの影響力を排除するためだった。TOB成立でようやく東芝は再建に向けて動き出せるが、8年に及ぶ混乱の代償は大きく、ライバルの日立製作所に大きく水をあけられてしまった。

なぜ東芝は業績不振に陥ったのか。原因を事業構造や経営環境に求める向きもあるが、東芝に関しては人の問題が大きい。経営者がまともなら、このような大惨事には至らなかった。

東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である。日米経済摩擦が激しかった87年に発生した、東芝機械製の工作機械が第三国経由でソビエト連邦に渡ったことを巡る「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。

西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。

西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。

西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う。