シヅ子は服部を信頼してどんな無理難題でも従った

彼女は自分の味方と認める相手であれば、とことん信じ込む。知人の少ない東京で、服部のことは最も信頼できる味方だと思っている。盲信していた。彼の指導はすべて「それが自分のためには最良のやり方」と信じて疑わず、どんな無理難題を言われようが不服は一切言わないで従った。

この頃の女性歌手は、高音で柔らかく優しげな女らしい声が好まれた。以前はシヅ子もそれを意識して唄ったりもしていたのだが。本来の自分の声とは違うだけに、それがのどを痛める原因にもなる。服部はまずその悪い癖を直そうとした。

シヅ子はもともと女性としては声の低いほうだが、服部が求める歌い手にはそれが求められた。彼がシヅ子にかれたのも、地声に魅力を感じたからだ。

「自分を隠すな、地声で唱え」

と、レッスンの厳しいことで知られる服部だけに、それができるまで徹底して唄わせつづける。舞台でいくら疲れても、休むことなく練習はつづく。その甲斐あって地声に磨きがかかり、声量にあふれていっそうの魅力を放つようになってきた。

顔をマイクにすり寄せて歌うパフォーマンスで観客を釘付けに

目立っていたのは歌声だけではない。シヅ子は大股で顔をマイクにすり寄せながら、踊るように体を揺すって唄う。表情は豊かに変化して、ステージからは距離のある劇場の2階席にも喜怒哀楽の感情が強く伝わってくる。行儀よくすまし顔で唄っていたこれまでの日本人歌手とは違って、感情をストレートにぶつけるパフォーマンスが観客の目を引きつけて離さない。

ウケを狙ったわけではなく、乗ってくると自然にそうなってしまう。服部がにらんだ通り、軽快で奔放なスイング・ジャズはシヅ子との相性が抜群だったようである。

他の出演者が霞んでしまう圧倒的な存在感。楽劇団の看板女優どころか、他の団員たちは彼女のために編成されたバックバンドやバックダンサーのように映る。

昭和14年(1939)4月に帝国劇場で公演された「カレッジ・スヰング」で、シヅ子は『ラッパと娘』を披露した。彼女のスキャットとトランペットがみごとに絡み、観客は魅了された。これを観た評論家の双葉十三郎などは、

「日本にもスイングを体現できる歌手が現れた」

このように絶賛している。

彼はシヅ子のことを「スヰングの女王」と褒め称え、以後これが彼女の代名詞になった。また、大評判となった『ラッパと娘』はレコード化されて、コロムビアの専属歌手にもなっている。

「ラッパと娘」(2023 Remastered Ver.)℗ Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE