なぜ、人が断る仕事をあえて受けるのか?
雲の上の診療所は別世界だった。いい意味ではなく――。限られた診療設備。ぎりぎりの医薬品。手に負えないからといって簡単に転院できない患者たち。「どうやって無事に山から下ろすか」に頭を悩ませ、工夫に工夫を重ねる毎日だ。
ただ、診療所にはたくさんの絵はがきが張られていた。この診療所で救われた人々からの「ありがとうございました」「無事、帰ることができました」というお礼のはがきだ。
「地上の病院では多くの医師が訴訟のリスクにおびえています。患者さんからのクレームがそれだけ多いのです。でも、山の診療所では、患者さんは私たちに頼ることしかできない。必ずしも満足な治療はできないけれど、医師はどうやって助けられるかを必死に考える。そして患者さんから感謝の言葉をもらう。医療の原点を見た気がしました」
使命感からではなく、医療の原点を感じたくてその後も10年近く続けた。足元に広がる雲や頭上の流れ星を今でも思い出すという。
原点については、矯正医官の仕事にも感じることがあるという。
「一般病院では途中で来なくなってしまう患者さんがいます。治ったのか、別の病院に行ったのかわからずに気になることもあるのですが、刑務所の場合、刑期を終えた人は別として、絶対に最後まで診ることができるので、医師としては幸せですね(笑)」
また、おおたわさんは、聴覚支援学校(旧ろう学校)の校医も務めている。もう20年にもなる。
「これももともと、父がやっていたのを引き継いだだけなんですけどね」
障がいのある子供たちとのコミュニケーションは、それなりに時間がかかる。障がいの度合いや症状もさまざま。支援学校の校医もやはり、あまりなり手がいないのだという。
プリズン・ドクター、夏山の診療所、支援学校の校医……。語弊があるかもしれないが、「一般的」とはいえない選択を、どうしておおたわさんは続けているのだろうか。
しばらく考えた後、おおたわさんは口を開いた。
「それが私のなりわいだからです。仕事だから引き受ける、それだけですね」
そしてもう一度考えた後、続けた。
「父が、そういう人でした」
1983年 筑波大学附属高等学校卒業
1989年 東京女子医科大学医学部卒業
内科医師の難関、総合内科専門医の資格を持ち、多くの患者の診療に当たる。