父と同じなりわいを当たり前に受け継いだ

おおたわさんがこの仕事を引き受けたのは6年ほど前。当時、おおたわさんは、父から引き継いだクリニックを閉院した後だった。

おおたわさんは小学校に入学する前から、将来は医師になるのを当然のことのように思っていた。父がそれを求めたわけではない。当時は「医者の子は医者になるもの」と当たり前に考えていたという。

「三つ上のいとこと仲がよくて、よく遊んでいたんです。2人とも歌が好きで一緒に歌っていたのですが、その子はその後、宝塚の男役になりました。今になって思えば、私にも別の道があったんですよね(笑)」

だから、おおたわさんは「医を志した」といった意識はほとんどないのだという。

公談禁止
撮影=梅田佳澄/出所=『医学部進学大百科2024完全保存版』(プレジデントムック)

プリズン・ドクターについても、使命感を持って引き受けたわけではないと、おおたわさんは語る。

「矯正医官の給料は、安くはありませんが、医師の世界では高くもありません(法務省のホームページには、平均年収1400万円ほどとある)。医師になるためには医学部の学費をはじめ、かなりの『先行投資』をしています。その『回収』のことを考えると、矯正医官を引き受けることに二の足を踏む医師が多いのもわかります」

そう言ったあとで、おおたわさんは続ける。

「だから、矯正医官を続けている私は『いい人』みたいに見えるかもしれませんが、そうじゃないのです。私はボランティア精神なんて尊いものは持っていません」

玄関から診察室に向かうわたり廊下。
撮影=梅田佳澄
玄関から診察室に向かうわたり廊下。[出所=『医学部進学大百科2024完全保存版』(プレジデントムック)]

とはいうものの、おおたわさんはかつて、研修医時代にお世話になった先輩医師から「ボランティア」を勧められたことがあるという。北アルプスの山小屋での「夏山診療」、いわゆる「雲の上の診療所」での診療だ。体調を崩したりケガをしたりした登山者を診る。

「何が悲しくて、12kgもの荷物を自分で背負い、交通費も滞在費も自分持ちで、テレビもない、携帯の電波も届かないところに何日も行かなきゃならないの、とずっと断り続けていたんです」

ところが、父が亡くなった翌年の正月、ふと「今年は行ってみよう」と思ったのだという。