静かに最期を迎えるとき「妻にまた会える」と思いがよぎるか

幕末の侠客きょうかく清水しみずの次郎長は三人の妻をめとり、辞世の句に「ろくでなき仕事も今は 飽きはてて 先立つさいに逢うぞ うれしき」と詠みました。

キリスト教無教会派指導者の内村鑑三かんぞうは、著書『キリスト教問答』の中で、この歌を次のように絶賛しています。

「もしワーズワースのような大詩人にこれを見せましたら、『まことに天真てんしんであり、ありのままの歌である』と、大いに称賛するであろうと思います。次郎長は侠客の名に恥じません。彼はこの世にありて多少の善事をなした報いとして、死に臨んで、このうるわしき死後の希望を抱くことができたと思います」

私も、もし静かに最期を迎えることができたら、「もうすぐ会えるよ」という喜びを感ずると思っています。

配偶者を亡くすのは、人生最大の痛手である。

「生きているうちにもっと優しくすればよかった」というのは妻を亡くした男性の心の叫びです。

無数の秘密を共有しながら何事もなく暮らそう

結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。


女優 グレタ・ガルボ

物事は一瞬を切り取って判断してはならないといいます。結婚生活などは、その典型でしょう。

前項で述べたこととは別に、夫婦の間には、他人には容易にうかがい知れない複雑な感情があるのも事実です。

最近、高齢の夫婦が一方を殺す事件が目につきます。

たとえば、80代の男性が夜中に妻を絞め殺す事件がありました。あるいは、妻が病気の夫を殺す事件もありました。

「介護に疲れた」「相手が不自由な生活に苦しむのを見ていられなかった。ラクにしてやりたかった」というのが理由です。

両方とも、近所の人は「とても仲のよいご夫婦でしたよ」と言っています。

つまり、グレタ・ガルボが見たような老夫婦の姿は理想ですが、夫婦の間に実際に何が起こっているかは、誰も知らないのです。

妻を背にソファで腕を組み座る男性
写真=iStock.com/eggeeggjiew
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