平成12(2000)年頃、日本の金融制度について、学者、政治家、マスコミはみな口をそろえて「ニューヨークやロンドンの投資銀行と互角に渡り合えるマネーセンターバンクを目指せ」の大合唱だった。
しかし私は、これはおかしいと思っていた。「金融による仲介」という本来の役割を放擲して、金儲けに狂奔するような真似をするべきではないと考えていたからだ。だがそんなことを言っても誰も聞く耳を持たなかった。
そのときに私が立てた仮説は、「日本の金融機関が都市銀行一色に染まることは決して利用者のためにならない。当行が特色ある金融機関として存在し続けることが、日本の経済発展の見地からも必ずプラスとなる」ということ。10年近くこの仮説、思い込み、信念でずっと通してきた。
住友信託銀行は、「自主独立路線で少し変わっている」「他行の動きが気にならないのか」などとマスコミなどで取り上げられることもあったが、闇雲に独自路線を歩んできたわけではない。いち早く従来の貸付信託をメーンにした長期金融機関から、信託業務をメーンにした金融機関へと、いわば業態転換に取り組んだのも、確たる仮説を打ち立て、それが自らの強さであるとの考えが根本にあったからだ。
そうした仮説を押し通す支えとなったのが、著者の「技道」という思想である。著者は人々を幸福に生かすために精進する技術は、「術」ではなく「道」であるというのだ。
仕事は人や社会を幸福にするため、生かすために存在する、という佐々木氏の考え方は技術者に限ったものではない。事務方であろうと経営者であろうと、銀行員であろうと役人であろうと、すべての仕事に通じる真実だ、と私は思っている。
人は本を読むと、「自分だけが悩んでいるわけじゃない」「世の中のレベルとはこういうものか」と認識できる。自分が置かれている空間の広さ、時代の長さを立体的に捉えられるのだ。
だから本を読む人間は、物の見方が安定しているので安心できる、と私は考えている。