西欧でも各国政府が教会をコントロール下に
これとよく似たことは西欧でも起こっています。カトリックとプロテスタントとの血みどろの宗教戦争が約100年続いたあと、各国政府が教会をコントロール下に置きます。
たとえば、イギリス王がイギリスの教会を支配し、聖職者を任命する。これを国教会制度といいます。フランスや、北欧諸国でも似たような制度になりました。この結果、教会は行政機構に組み込まれ、もはや積極的な布教はしなくなり、世俗化が進んでいったのです。
それでは神道はどうなっていったのでしょう? 室町時代には天照大神ではなく、虚無太元尊神という神を最高神とする一神教的かつ儒学・仏教・道教が混在する吉田神道が広まり、朝廷公認にもなっていました。
宗教統制は江戸幕府も望むところです。家康も吉田神道の権威を認め、全国の神職の任免権を与えました。幕末まで、この吉田神社が神道を統括する神社本庁のような役割を担っていたのです。
ところが幕末の尊皇攘夷運動と連動して、儒学・仏教・道教を排除し、天照大神を最高神とする復古神道が登場し、明治の国家神道へとつながっていくのです。