今のコンサルタントが「小粒」なわけ

その意味では今のコンサルタントは気の毒だ。要するにエスタブリッシュされて、世界化もある程度果たした日本企業を相手にするのだから、やれることは限られる。微修正のようなアドバイスしかできないから、さぞかし退屈だと思う。

時代とともに第一世代のダイナミックな経営者がいなくなって、大きな意思決定ができないトップが多くなってくるから、ちまちま説得しなければ話が進まない。自然、コンサルタントも粒が小さくならざるを得ない。

我々の時代は何でもあり、だった。

「大前さん、そんなこと言っても、ウチの会社はまだ無理ですよ」

こちらの提案に腰が引けた反応を見せたら、「僕が連れて行きますよ」ととりあえず世界旅行に誘う。2週間分の着替えをスーツケースに詰め込ませて、ファーストクラスに乗って世界をぐるっと回ってくるのだ。この辺りは学生時代にやっていたツアーガイドの経験が効いてくる。

訪問先は主に同業の世界企業。見上げるような気持ちでいた世界企業のトップから「これからは日本の時代です」「提携して一緒にやりましょう」などと握手を求められたら、社長になりたての人でなくても感激する。無論、そうお声掛けをしてくれるように事前に手を回しておくのである。

行く先々で歓待されて、成田に帰ってくる頃には「ウチの会社も意外と知られているんですね。やりましょう、世界化」ということになる。そうなれば私の仕事も5年は続く。

80年代に入って円高が進行してからは、M&Aの仕事が急増した。

日本の企業から仕掛ける案件もあれば、向こうから日本の企業に買ってもらいたいという案件もあった。M&A絡みの仕事は定期的に報告会があるコンサルティングとはまったくの別物。出物があればクライアントのトップと二人三脚で飛び回って瞬時に判断する、という感じだった。あの頃のM&Aは我々マッキンゼーの独壇場で、日本で一番案件をこなしたと思う。

バブルのピーク時には1000億円単位の投資が簡単にできた。今にして思えば、違う国で仕事をしていたような気がする。

一緒に仕事をしたのは第一世代、第二世代の経営者が多かったが、今の日本ではどこを探しても見当たらないような人たちばかりだった。

次回は《大前版「名経営者秘録」(2)——立石一真さんの「わかりました」》。10月22日更新予定。

(小川 剛=インタビュー・構成)