松下電器からスクウェアまで

1970年代後半~90年代前半。それは日本企業が世界に乗り出していく時期だった。だが、その「やり方」がわからない経営者たちからの依頼が、大前さんの元に殺到した。(写真は現在の大前さんのオフィス。撮影=市来朋久)。

私がマッキンゼーでコンサルタントをやっていたのは1972年から1994年までだが、思えば日本が一番元気のいい時代だった。

石油危機や円高などの逆風にも見舞われたが、日本企業はそれをイノベーションや世界化で乗り越えようとする気概と活力に溢れていた。

松下幸之助さんや本田宗一郎さんのような戦後第一世代の経営者がまだ最前線で踏ん張っていたし、盛田昭夫さん、川上源一さん、稲盛和夫さんら第二世代も力をつけてきていた。ナムコの中村雅哉さんやスクウェアの宮本雅史さん、孫正義さんといった第三世代の勢力も経営の世界に入ってきた。

戦略系コンサルタントとして売り出しがたまたま早かったおかげで、私は戦後三世代にわたる経営者とお付き合いするという貴重な経験をさせてもらった。

当時は「狭い日本に閉じこもっていたら将来はない」「やはり世界最大のマーケットであるアメリカで勝負しなければ」というのが多くの経営者の口癖だった。しかし、どうやって世界に出ていけばいいのかわからないということで、「大前さん、なんとかしてよ」という依頼が殺到したのである。

「世界化の第1フェーズは現地の提携代理店を通しての輸出と販売。第2フェーズは自前の販売店の展開。第3フェーズは現地での生産、マーケティングの開始。第4フェーズは開発から販売までのワンセットのビジネス機能を現地に移管。最終段階の第5フェーズはグローバルベースでの再統合。それぞれの現場で創意工夫が生まれるような部分最適のオペレーションを取りつつ、価値観や連帯感を共有できるように再統合し、最適化を図る」

このような「グローバル企業に進化するための5つのフェーズ」を80年代はじめに打ち出して、これに則した世界化プロジェクトをかなり手伝った。

戦後第一世代は日本では「大経営者」だったり、「経営の神様」だったりするが、海外のことはとんとわからないので私のところに相談にくる。第二世代はある程度世界のことが分かっているからこそ相談にくる、というこことで、私はいい立ち位置にいたのだろう。