「自分の子分を探してこい」

マッキンゼー東京事務所の会議風景(1980年代のもの。写真提供=斎藤顯一氏)。

『企業参謀』が出版された1975年、私はマッキンゼーに入社しました。

それまでのマッキンゼー東京事務所は、さほど業績は良くなかったと思います。ところが『企業参謀』がヒットするや、東京事務所にいろいろな会社から問い合わせがくるようになりました。「これは忙しくなるぞ」と思ったのを覚えています。1976年以降は、会社のギアが一段階上がったような感じでした。

私はと言えば入社から一年が経過して、自分の仕事を評価されるときがやってきました。
「ダメだったら辞めなあかんぞ」

一年前、入社した直後に大前さんからそう言われていました。

「そんなん、入る前に言うことちゃうの?」と思いましたが、「成果を出さなければクビ」はマッキンゼーの常識。

果たして一年目のレビューはどうだったか。大前さんから言われた一言は今でも鮮明に覚えています。

「お前、一年前は真っ白の紙を持って入ってきった。そこにこの一年でいっぱい字を書いた。明日からマネージャーな」

突然マネージャーと言われても何をすればいいのかわかりません。

「マネージャーってマネジメントする人のことやないですか」

「そう。これからお前が人を採用するんだ。自分の子分を探してこい」

経験のない学卒を安い給料で目いっぱい働かせることに味をしめたんでしょう(笑)。こうして2年目から採用担当の責任者を仰せつかったんです。でも、いきなり「子分を探せ」と言われても、当時の学生はマッキンゼーなんて全然知らない。仕方ないから、まずは東京大学経済学部のある教授を訪ねました。

「マッキンゼーで募集しているんですけど、誰かご紹介いただけませんか?」

「あ、マッキンゼーさん、日本にあるんですか。もちろん紹介しますよ。でも紹介する以上、採用していただけるんですよね」

「え? それはアカンと思います」

「それではご紹介できませんねぇ」

結局、教務課に募集のポスターだけ貼らせてもらいました。

私は入社6年目でコンサルタントになりましたが、その時点で私が採って育てたスタッフは20~30人ぐらいになっていたでしょうか。コンサルタント、プロフェッショナルスタッフともに増えて、マッキンゼー東京事務所の所帯は年毎に大きくなっていきました。