ビル・ゲイツとジェフ・ベゾスの共通点

あまり知られていませんが、禅寺では清掃を始めとするあらゆる労務は「作務」と呼ばれ、坐禅と同じく重要な修行と位置づけられています。ブッダがどうしても経文を覚えることができない弟子に、経文の代わりに「塵を取る、垢を取る」と唱えながらの庭掃除を命じたところ、優秀な弟子よりも先に悟りを得たという逸話もあります。

作務を修行とする考え方には、禅修行を観念的な世界に終わらせず現実世界の身体性と一体化させる目的があると言われています。私は、作務には瞑想と同じく千々に乱れるDMN(デフォルトモードネットワーク)を抑制し、意識を集中させる修行効果があるためだと考えています。

例えば、世界富豪ランキングの1位、2位を争う、マイクロソフト創業者ビル・ゲイツとアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスには、毎晩、夕食後に皿洗いをするという共通点があります。しかも2人共、皿洗いをすることが好きで、他の人にはやらせないとも断言しています。私の友人の中にも家事の分担という理由を超えて、皿洗いや掃除は自分がやるという人が多くいます。

これは、無心で家事や雑事に専念することが、瞑想した時と同じように(DMNを沈静化させ)、時にアイデアがひらめく効果をもたらすということに気づいているからかもしれません。瞑想の時間が取れない場合は、皿洗いや掃除等の家事を率先して行うようにすれば、家庭円満以外にブレインワークアウト効果が得られるかもしれません。

アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス(写真=Seattle City Council/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス(写真=Seattle City Council/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

自己と世界が一体化した感覚が得られる

心が落ち着き、集中力が増し、アイデアがひらめく――瞑想には、こうした実利的なメリットも十分にありますが、その最も大きな効用は、自分の存在を世界の一部と見なす意識が芽生え、自己と世界が一体化した感覚が得られることです。

親ガチャ、会社ガチャ、上司ガチャ、等という言葉があります。スマホゲームの「ガチャ」のように自分では選べない環境のせいで、今の自分の状況が生まれていることを表す言葉です。過剰な自我(エゴ)に意識が向かい過ぎて、結果として、自分の不満な状況の原因を、自分の周囲の人々や置かれた環境の責任、つまり他責のみに帰してしまう思考です。

あるいは、自己中心化が進み巨大なエゴを抱えながらも、世界における自分を肯定することができない、自分が自分でないと感じる、自分自身を見失っている状態です。たとえ周囲が羨むような社会的な成功を収めていたとしても、それは当人としては地獄のような状況です。