コンセプト? 実際、あんまり考えてない

ハモニカ横丁内のVIC(ビデオ・インフォメーション・センター)0号店。(撮影=三浦 展)

【手塚】そのころ「ブレードランナー」が流行ってたんだよね。

【三浦】もうちょっと前から流行ってましたよ(笑)。

【手塚】そう(笑)? あれ、いいなあと思って。下に水が張ってあって、逆光が照らして、煙がある。活気を出すにはやっぱり煙がいいなと思って小さい焼き鳥屋も始めたんだけど、それだけがうまくいった。2階のキッチン用品は、あまりうまくいかなかった。

【三浦】それが今の「てっちゃん」?

【手塚】そう。一品種大量生産ではない「場所にこだわるマーケティング」って変で新しくて面白いなと思い始めたのが、「FOODLABO」と「てっちゃん」を始めた2003年ぐらい。ハモニカ横丁という場所にこだわるんだったら、徹底してこの場所にこだわって、ここに住んでいる町会の人、街の人にこだわっていろんなことをやろうって思い始めたんだよ。

これはフランチャイズできない。ここでしかできない。こういうマーケティングをやっている奴は、意外といない。じゃあ、ここでなるべくみんなが驚くような、違う業態をちょこちょこやっていこうと思った。「場所にこだわる」というのは面白いな、と。

その頃のハモニカ横丁ってシャッター通りみたいになっていて、夜も真っ暗だったけれど、駅から近いから繁盛させればすぐ来るっていうことはわかっていたんですよ。簡単にはいかないなとも思っていたけど。

ぼくはあんまり考えないんだよね。いろんなことをやりたいんだけど、さっきの魚屋さんみたいに、向こうから「やってくれ」って話が来たときに、何とかやれないかなって考える。よく業界の人とか、「コンセプトは?」って聞くでしょ。ぼく、全然、頭の中にそういうのはない。コンセプトなんて安易に考えられないし、できない。実際、あんまり考えてない(笑)。

ハモニカキッチン2Fにて。

【三浦】そうなんですか?

【手塚】本当にそうなんですよ。「だいたいこっちの方に行くぞ」ぐらいは言うんだけれど。

ちょっと余談になっちゃうけれど、宇都宮のちょっと郊外に田川っていう川があって、そこに東北本線が走っているんです。そこに架かっている眼鏡橋というところに、5歳か6歳のときに、ぼくより5つくらい上の人たちに連れていかれて、橋を渡って遊んでいたんです。そこに蒸気機関車が来た。ぼくは小さいから、這ってしか渡れない。橋の真ん中当たりで動けない。飛び込んでも泳げない。どうしようかと思っているうちに、蒸気機関車が走ってくるのが隣の線路だってことがわかった。ちょっと映画的なんだけれど、「ああ、隣だ」と思ったら、すうっ、と解放された気持ちになって、直後に蒸気機関車がすぐ横をバーッて走り抜けていった。放心状態になりましたね。

どうやらぼくは、冷静になれるところまで持ちこたえる習性があるんだなと思いました。いつもはそそっかしくて早とちりなんですけれど、あのとき、あそこで早とちりして飛び込んでいたら、たぶん死んでいました。ギリギリ、確実になるまで動かないという習性みたいなものが、何かあるような気がしますね。

■ブレードランナー
1982年公開、現在に至るまで多くのSF作品に影響を与えているアメリカSF映画の名作。公開時の興行成績は悪かったが、ビデオ化されてから人気沸騰。監督はリドリー・スコット。美術デザインはシド・ミード。音楽はヴァンゲリス。主演はハリソン・フォード。原作はフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。

<次回予告>ビデオの仕事をしてきた手塚さんは、なぜ飲食業で「成功」したのか。手塚さんの発想の元になっていた「アングラ演劇」は、どのあたりが変だったのか。平成日本人の頭ではちょっと気づかない「偶然を面白がる」ってどういうことか。第4回《ガーナから来たママトゥーさん》は10月26日掲載予定です。

(構成=プレジデントオンライン編集部 石井伸介)
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