子どもたちを承認に飢えさせて、支配しようとする

【内田】学校でも、クラスの子どもたち全員を歓待し、承認して、「みんなここに来てくれてありがとう。君たちは全員ここにいる権利があり、その権利を私が守る」と言い切ってくれる教師がどれだけいるでしょうか。むしろ、ある条件を示して、その条件をクリアした生徒はこのクラスにいて、授業を聞く権利があるが、条件をクリアできなかった生徒はここにいる資格がないという脅迫的なロジックを教師の側が操るようになっているんじゃないでしょうか。子どもたちを絶えず承認に対して飢えている状態にすることによって、承認というニンジンをぶら下げて子どもたちを支配制御しようとしている。

ランドセルを背負った小学生
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この方法が効果的であるためには「無条件の承認」ということは、家庭でも学校でも「してはならない」ということになる。たぶんその帰結だと思うんですけれども、今の子どもたちは、集団でいる時には「相互に無視し合う」ということがデフォルトになっている。相手を承認し、歓待し、祝福するというようなことは、ふつうはしない。相手があたかもそこにいないかのようにふるまうことが基本「マナー」になっている。

挨拶をしないという「都会人のマナー」

【内田】僕は東京に仕事用に部屋を借りているんですけれども、そのマンションはほとんどの部屋がワンルームで、若い勤め人たちが朝出勤して、夜帰って寝るだけの場所です。もう4年近く借りていますが、エレベーターの前で「おはようございます」「こんばんは」と僕が挨拶しても、まず返事をしてくれることがない。返事もしないし、眼も向けない。挨拶をする人間があたかも存在していないようにふるまう。たぶんそれが今ではふつうの「都会人のマナー」なんでしょうね。

基本的に相手に承認を与えないで、「承認に飢えている状態」にキープしておく。だから、今の子どもたちにとって、歓待され、固有名において承認されるということは、もう一種の「トロフィー」なんです。それを得たいと思うなら、それなりの努力をしなければいけない。