稼いだお金は、どう使うといいか。イスラーム学者の中田考さんは「お金を持っていると無心されるしいいことは何もないから、すべて使ってしまったほうがいい。お金を与えることに慣れていない日本人は“推し活”から始めるといい。見返りを求めず自分の時間やお金を“推し”につぎ込むと無意味な人生に少しは張り合いが生まれる」という――。

※本稿は、中田考『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)の一部を再編集したものです。

貯金箱
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現金をせびられたら現物で支給する方がいい

イスラームは、お金を稼ぐのは良いことだけど貯めておくのはダメ。稼いだら使え。貸す場合は返ってくると思うな、という文化です。日本でも貸す時はあげるつもりで貸せって言うと思いますけど、イスラームでもそうです。

さらに言うなら、お金がなければ返済期限が過ぎても返さなくていいんです。元々そういう考えだから。返ってこなくてくよくよすることもない。そういった気前の良さはイスラームの美徳の1つです。

たとえ自分にお金がなくても、自分より貧しい人がいれば条件反射的にお金を与える。だから道端で物乞いしている人とかにも反射的にお金を分け与える。それが普通なんです。

エジプトにいた時、住んでいたアパートにバクリーという住み込みの門番がいました。バクリーはしょっちゅう私にお金をくれとか、時計をくれとかモノをせびってきました。

私もその度にお金だったりモノだったりをあげていたんですが、ある時ちょうど持ち合わせがなくなってしまったことがありました。

「今お金がないんだ」と正直に言うと、彼は「大丈夫か」と心配して逆に私にお金をくれようとしました。持っている者が持っていない者に与えるというのは、イスラームではそれくらい当たり前のことなんです。

そもそもお金なんて持っていたところで何も良いことはありません。持っているから無心されるし、持っていなければ誰も「金をくれ」なんて寄って来ませんから。日本ではなかなか現金を人に渡す機会はありません。

私も日本のように衣食住に本当に困っている者がほとんどおらず、金をもらうと酒やたばこのような嗜好しこう品やパチンコなどの遊興に浪費してしまう人が多い国では、現金をせびられたら現物で支給する方がいいと思っています。

また慈善で貧しい人にはお金を渡すのは当たり前だという文化がない日本だと、どうしてもそこに「偽善ではないか?」という心理が働いてしまって、赤の他人に自然に自分のものを与えるのは実際にはなかなか難しいです。

ですから“推し”を見つけて、“推し”に貢ぐところから始めてみましょう。