共感6割、反感2割、わからない2割がベスト
バカにバカと言っても無駄です。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」(『新約聖書』マタイによる福音書7章6節)です。見ないふりをしてそっと通り過ぎるのが無難です。
ともかくも私の本を手に取ってくださった読者の方は「自分の頭で考える系」のバカではなく、本を読んで学ぼうという気があるわけですから、どんどん読んでほしいと思います。
まぁ、内田樹先生のおっしゃる通り、読書の本当の「効用」は、自分が常識だと思っていた常識を相対化し、それまでの価値観を壊され、バージョンアップすることですから、私の本を読んで、「うんうんその通り」「私が考えていた通りだ」と思ってすらすらと楽しく読み進めるようなら、あまり読む意味がないとも言えます。
でも読書はそもそも効用を求めて読むものではなく、それ自体が喜びであることを知ってもらうのが本稿の目的ですから、自分と同じ価値観を読書で確認して嬉しくなれるならそれはそれでよいでしょう。
まぁ、共感6割、反感2割、わからない2割ぐらいがベストな気もしますが、なかなかそう都合よくいくものではありません。
理解しなければいけないことを理解する
ともあれ物質的、現世的な幸せがなくても、学問はそれ自体が楽しいものであり、学ぶ喜び、真理と共にある至福感さえあれば、どんな不幸も感じない、というぐらいの楽しさの感覚を、若い人には身につけてほしいと思っています。
ただし、少し読書したからといって、これらのことをすぐには理解できないでしょう。しかし、「自分には理解できないとしても理解しなければいけないということを理解すること」が大事なのです。
読書術とかのたぐいの本には、読書の進捗状況を記録することで、達成感を得られるだけでなく、自分の読書スピードや理解度を把握することができるとか、時には新しいジャンルや意外な選書に挑戦することが大切であるといったことが書かれていたり、最近では速読の技術を習得することで、短時間で多くの情報を吸収することが可能になるなどと言われていたりしますが、これも無駄なものをあたかも価値あるものと錯覚させ、どんどん売りつけていかないと成り立たない資本主義というシステムが生んだ現代病のようなものです。
こういった主張はすべて、いかに短時間で書かれている内容を理解し、自身の生活に役立てるかという視点からの物言いであり、「自分には理解できないとしても理解しなければいけないということを理解すること」という読書の本来の意味を忘れてしまった愚かな行為です。
そんな読書をするくらいなら、何もしない方がマシです。すぐにでも本を閉じてしまいましょう。