麻雀の代打ちとして「20年間無敗」。漫画やVシネマのモデルにもなった「雀鬼」こと桜井章一さん。80歳を超えたいまも、東京・町田にある「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」で若者たちに人としての道を伝え続けている。桜井さんは「最近は勝ちたい気持ちに囚われるあまり、醜い勝負をする人が増えた」という――。(第1回/全5回)

※本稿は、桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

20年間「負けなかった」男

私はかつて、麻雀の代打ち(政治家や財界人の代わりに麻雀を打つことを生業なりわいとする者)として勝負の世界に身を置いていた。文字通り命の懸かった真剣勝負も幾度かあったが、現役時代の20年間は一度たりとも負けることはなかった。

「負けない」と「勝つ」。

この2つの姿勢は、結果的に同じことを意味しているように見えるが、本質においてはまったく別物である。

たとえば「負けない」は、「勝ちたい」よりも「強さ」の点で勝っている。「勝ちたい」気持ちには、必然的なもろさが伴うからだ。

じゃんけんをする手
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「勝ちたい」気持ちには際限がない

「勝ちたい」という気持ちには際限がない。勝つことは無条件にいいことだと思っているから、目的のためには手段を選ばず、時に卑怯ひきょうなことも目をつむってやってしまう。

桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)
桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)

勝者の裏側には必ず敗者がいるが、敗者を徹底して打ち負かすことが、時に相手の人生や生活を狂わせてしまうということにはつゆほども思いが至らない。

一方、「負けない」という気持ちは、人間の素の部分、本能に近いところにある。負けなければいいのだから、限度をわきまえており、相手を再起不能になるほど追い詰めたりはしない。

「負けない」という気持ちには、相手がちょっと弱ればおしまいとか、自分に必要なものが得られれば十分という「納得感」があるが、「勝ちたい」という気持ちはどこまで行っても満足はなく、得たものへ執着し、失うことへの不安と焦りを常に抱えている。そこからほころびや脆さが生じるのである。

本当の強さに近づくには、「勝つ」より「負けない」という感覚をどれだけ磨いて持てるかにかかっている。

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