「あそこは日本の領土です」と政府が言えばよかった

一口に沖縄県といっても、あの辺りは岩礁や小島が非常に多い。これをいちいち記載していくのは大変だと、当時の外務省の連中が言うものだから、じゃあ僕はヨットマンなので、太平洋を横断するときは、東経何度何分、北緯何度何分って自分の位置を伝えなきゃならないときがある。

海上に浮かぶ岩礁や突起物にもそういう目印を6つ設けて、それを結んだ線から内側に入るのは沖縄県として返還するのはどうかと言ったら、その案が認められ、実際にキチンと条文になった。その中に尖閣諸島ももちろん入っている。

そういった経緯もあって、沖縄、特に尖閣諸島についての問題には昔から取り組んできた。その後、領有権の問題などが出てくるのだが、鄧小平に、後世の若い利口な人間たちにこの問題は任せましょうなんて言われて、バカな外務省はそれで救われた気になって、そうしようそうしようって棚上げになってしまった。あのときに「それはおかしい、あそこは日本の領土です」と、はっきり政府が言えばよかったんだ。

沖縄が返還される前、尖閣諸島周辺に群がるシナや台湾の漁船を危惧した昭和天皇が、当時総務長官だった山中貞則さんに尋ねた。 「山中、尖閣諸島には蘇鉄は生えているのか」 。山中さんは「申し訳ありません、存じません」と答えたのだが、昭和天皇は独白のように「沖縄に蘇鉄はあるが、台湾にはない」と答えられたそうだ。

植物学の学者でもある昭和天皇らしい話だが、これはすごく的を射ていて、当時の我々の先遣隊が魚釣島に上陸した際、帰還した学生たちに聞くと、「そこら中、蘇鉄だらけでした」と。人間の行き来が植物の種を土地から土地へ運んで行くわけで、これは昔から沖縄から尖閣諸島への人々の往来が頻繁にあった確固たる証しなのだ。

第一、シナが尖閣諸島を自国の領土だと主張する理由に挙げる、大陸棚の延長線なんてものはばかばかしい話で、海上での波風や、潮の流れなどを考えると、沖縄から尖閣諸島に渡るよりも、シナから渡ることははるかに難しいこと。事実として、昔から尖閣諸島は間違いなく日本の文化圏にある。

――しかし、長年にわたるこの国の不作為が現在の尖閣諸島の現状を生み出してしまったわけですね。

12年2月に、人民日報という向こうの政府の実質的機関紙を通して、シナは、尖閣諸島における日本の実効支配を破壊するために、もっと果敢な行動を取る。武器も含めてそのための機材を揃えるぞと宣言した。おまえの国に強盗に入るぞ、と面と向かって言われて、戸締まりしない人間がどこにいますか。

今現在も実際に300隻を超える密漁船が尖閣諸島で乱獲を繰り返している。国がやらないのなら誰がやりますか。東京都民だって立派な国民だ。誰かがやらなくてはならないことを東京が引き受けた。僕が尖閣諸島を購入すると発表するに至った経緯はこういうこと。