一体どこの国の役人なのかわからない奴らばっかり
さすがに僕も呆れちゃって、そのあと政治家も辞めてしまったので、ずっとほったらかしになっていたのだが、息子(石原伸晃氏)が大臣になったのでやらせた。2012年にめでたく、20数年ぶりに日本国保安庁のプレートを貼って、正式な灯台として認めてもらいました。
このように外務省というのはほとほと腰抜けで、一体どこの国の役人なのかわからない奴らばっかりだ。
――知事はその頃から尖閣諸島の購入を考えておられたとお聞きしました。
議員時代、青嵐会の代表として、尖閣諸島の現所有者である栗原さんのお母さんにお会いしまして、とにかく尖閣諸島いずれかの島を買いたいと持ちかけました。しかし、栗原さんの持つ広大な土地は、戦中、国に中島飛行機の工場用地として奪われ、戦後は戦後で区画整理として自宅の前に広がるかなりの土地を強制収容されたそうです。それで、「私たちは国というものを一切信用していない。ですから島をお売りすることはできません」と、国に対する不信感は相当なものだった。しかし、僕がその頃から一貫して尖閣諸島問題にブレずに取り組んだおかげで、栗原さんとの信頼関係もでき、「石原さんになら」と、この度の運びになった。
――算段通り、尖閣諸島を購入された後、どのように活用していくか構想をお伺いしたい。
まずは港をつくりたいね。南小島と北小島の間の岩盤なんかは、満潮になると潮を被りますが、普段は平らな岩盤が1メートルほど出ている。そこに西側にはテトラポッドを積んで波を避け、東側は掘削して、大きな船だまりをつくりたい。
あの海域で領海侵犯をしてまで操業しているシナや台湾の漁船というものは、大きいものだと、50~60トンありますから。彼らは海が時化てきても、島陰でエンジンかけたまま船を支えて、やり過ごせる。しかし、日本から漁に出る漁船のほとんどは、母港が石垣港で、みんな2、3人が乗る遊漁船クラスですから。時化が来たら慌てて逃げ帰らなくてはならない。
ですから、そういった日本の漁船が、時化や嵐が来たらそこで夜を過ごし、何日も安心して操業できる、要するにインフラというものを整えてあげたらいいんじゃないかと思っている。